カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

例の美少女小学生/塾の卒業式

1

占いは未来を予測するのではなく未来への心構えを自分へ要請する。合理的判断が効く分野を占術で判断するのはそれこそ非合理だが、たとえば恋愛といった事柄は合理的判断ができない分野であるから、生活上のアートとして占術は有効である。ただしその裏面としてカルトや霊感商法の資金源になりやすいという側面ももちろんある。
例の美少女小学生との相性占いなどを繰り返す。数週間前、「恋愛は終わりを迎えました」という卦が出る。その日は別な占術ではよい卦が出ていたので、彼女の家へ電話して、彼女のお母さまと少しくお話をさせていただく。過日塾へいらしてくださった際の対応の非礼を詫びる。ある視点から見ると私は獣のような、あるいは悪魔のような男だと自分自身思う。
うちの塾には卒業式に類するものがあり、昨日がその日だった。例の美少女小学生には参加確認ができなかったので、参加してもらえないかもしれないな、とは思っていた。バレンタインのお礼を渡せる最後の機会なので、お礼の品の用意だけはしておいた。ある占術ではここ数週間の私の運気はすこぶるいいのだが、この卒業式の日は運気が低調だという卦が出ていた。別な占術で恋愛運を見ると、「自分を常人と同じだと考えてはいけない、短期的にはうまくいかない、心は通い合っている、長期的には望みは適う、行き過ぎは禁物」といった卦が出た。繰り返すがこれは心構えへの要請だ。
さて、卒業式で私は生徒たちへの「送辞」を話すチャンスを得た。卒業式前日は準備で時間をたいへんにとられ、帰宅は遅かった。それから送辞の文案を考えた。眠る時間もなく、塾へ向かった。

2

この朝、久しぶりに天候が悪く、たいへん寒かった。冷たい雨が降っていた。塾へ行くとトラブルがあった。塾の責任者が高熱を出し卒業式に参加できないらしい。式次第を急遽書き換えることになった。
私は塾の前で生徒たちを迎えた。懸念していた例の美少女小学生も出席した。「久しぶり」と声をかけた。「バレンタインのお礼を後でこっそり渡すね」と彼女に言った。「前回来てくれたのがバレンタインの前日だったことに気づかなかったんだ、用意したから受け取ってね」と言った。頷いてもらった。
卒業式の式次第が大きく変わったので、司会による挨拶もほとんどなく、責任者による訓話もなく、重みのある話は私の「送辞」だけになった。生徒へ卒業証書を授与した後、以下のような話をした。

3

「送辞」とは「送る言葉」という意味です。卒業していく君たちに、講師を代表して言葉を贈ります。
君たちはよい生徒でした。君たちと過ごした時間は楽しかった。君たちが来なくなった塾は、正直言って寂しく感じます。君たちはこの塾で人生のうちの大切な数年間を過ごしました。その日々が濃密で実りあるものであったことを私は祈っています。私たちは君たちのことが大好きでした。
卒業する君たちに、「詩」を2つ、読みたいと思います。一つ目は谷川俊太郎の詩です。とても有名な詩なので、君たちは学校などですでに聞いているかもしれない。では読みます。

「卒業証書」      谷川俊太郎

ひろげたままじゃ持ちにくいから
きみはそれをまるめてしまう
まるめただけじゃつまらないから
きみはそれをのぞいてみる
小さな丸い穴のむこう
笑っているいじめっ子
知らんかおの女の子
光っている先生のはげ頭
まわっている春の太陽
そしてそれらのもっとむこう
星雲のようにこんとんとして
しかもまぶしいもの
教科書にはけっしてのっていず
蛍の光で照らしても
窓の雪ですかしてみても
正体をあらわさない
そのくせきみをどこまでも
いざなうもの
卒業証書の望遠鏡でのぞく
きみの未来

ここで詠われている生徒たちは君たちより幼い感じですね。はいはい、卒業証書を丸めないように。未来を覗くのはかまいませんが。君たちにはすばらしい未来が待っています。
さて、今読んだ谷川俊太郎の詩は優しさに満ちた詩でした。もう一つ、君たちの未来に向けて詩を読みます。宮沢賢治の「告別」という詩です。これは厳しい詩です。長い詩です。
宮沢賢治岩手県花巻農学校の教師をしていました。宮沢賢治は恵まれない人でした。宮沢賢治の教えていた生徒たちはもっと恵まれない環境にありました。生徒たちに宮沢賢治は音楽を教えていました。たいへん才能のある生徒がその中にいました。宮沢賢治は道徳的にたいへん高い志を持っていたので、教師を辞めてしまいます。教師を辞め、その生徒への別れの際に詠ったのが今から読む詩です。私たちも何人かは今年度でここの塾からいなくなります。
今から読む詩は、難しい聞き慣れない言葉がいくつも出てきます。たとえば「泰西」という言葉が出てきます。これはヨーロッパのことです。幼齢弦(ようれいげん)とは弦楽器、鍵器(けんき)とはピアノなどのことです。
宮沢賢治の生徒たちは恵まれない環境にありました。音楽の才能があっても音楽の道に進むことはほとんど不可能な環境でした。君たちはこれから自分の才能と自分の努力で人生をわたっていきます。そういう、自分の力で自分の道を切り開いていく人へ宛てた、これは詩です。では読みます。

告別      宮沢賢治

おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかヾやく天の仕事もするだろう
泰西(たいせい)著名の楽人たちが
幼齢弦(ようれいげん)や鍵器(けんき)をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器(こき)と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や材というものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさえひとにとゞまらぬ
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
れいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもうもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけてるような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ

以上、1925年の詩です。
君たちはたいへん良い生徒でした。君たちのことを私たちは愛していました。君たちはこの塾で最後までやりぬくことを学んだと思います。
これから先、君たちは私たちの手を離れ自分の人生を切り拓いていきます。君たちがもし辛い目に遭ったのなら、もし君たちと縁があるのなら、私たちに助けを求めてください。必ず君たちの力になります。
私からの送辞は以上です。

4

宮沢賢治の詩の「学校」というところを私は「ここ」と読んだ。学校の卒業式ではなかったからだ。
この詩は『編集王』で引用された詩だ。詩の痛みがどれ程伝わったかは判らない。

いゝかおまえはおれの弟子なのだ

ここを声に出して読んだとき、感極まり、自然と涙声になった。
これを読んだ私には欺瞞がある。むしろ私の正直な心情は以下の詩の方が近いからだ。

「その笑顔が」              小海永二

いつも教室で笑っていました
その笑顔が 楽しくて
一年間 その笑顔が楽しくて
その笑顔が ぼくの中で
幾重かの層になって 重なって
今も
今から 一年先も
今から 二年先 三年先も
ずっと あなたの笑顔が
楽しく(幾分は悲しげに)
笑い続けているでしょう
そのうちあなたが大人になって
ずい分すました顔を見て
おちょぼ口で ふふふと笑うようになった時でも
ぼくの中では いつまでも
子供の時のあなたらしく 子供の時の笑顔のままで
あなたは笑っているでしょう
別れるのが ちょっと悲しい気持ちです

この詩はロリコンの心情を詠っている。正直すぎるから「送辞」では使えなかった。そして師弟愛と恋愛を錯誤する私には欺瞞があり、我が真情は広義のパワーハラスメント児童虐待への欲求であり行為であると私の理性は私に告げる。

5

愛しの美少女小学生の写真を何枚か撮影することができた。もっとフラットな気持ちでならもっと何枚も撮影できただろうが、フラットな感情ではないから、過度に欲求を抑圧し、最低限の枚数しか撮影しなかった。いつも彼女に対して私はそうだ。それは賢明な行動ではない。色んな意味で。
別の生徒の対応を私がしているとき、彼女は帰宅準備をしていた。「ちょっとだけ待っていて」と彼女に声をかけた。「例のもの」と言って彼女へバレンタインの返礼を渡した。「また遊びに来てね」と彼女へ言った。「うん」と彼女は応えた。「今度、友達も連れてくる」と彼女は言って別れた。
彼女の言葉が本当になればいい、と私は思った。彼女が連れてくる「友達」が彼女の「彼氏」を指すのかもしれないけど。
冷たい雨は止んでいた。綺麗な青空が広がっていた。

6

同じ日の午後、中学部の卒業式もあった。小学部より大量の卒業生で、責任者不在で、きわめて少ない講師で切り回し、徹夜でほとんど何も食べていない私は倒れそうになりながら対応した。
今日が生徒たちにとって良き思い出となることを祈る。私が愛しの美少女小学生にとって良き思い出となることを祈る。

7

「読書少女」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061129#1164750016の話を蛇足ながら書いておく。「読書少女」にもプレゼントを用意しておいた。サマセット・モーム『読書案内』だ。「読書少女」へは当初、この日までに書籍リストhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070316#1173980468を作っておくと約束していた。それが適わないので購入しておいた本だ。「読書少女」は美少女なんだが、私は「読書少女」への感情はフラットだ。フラットではあるが、「特別扱い」はしてしまった。国語科講師としては、彼女は特別な生徒、特別な「弟子」だからだ。だが心の中のどこかに痛みに似た疼きを覚える。「読書少女」へこの日、本をプレゼントすることは、してはいけないことだったかもしれない。判らないけれど。

読書案内―世界文学 (岩波文庫)

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編集王 (1) (小学館文庫 (つB-1))

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