安倍晋三の何が気に入らんのかとか、小泉純一郎への評価とか
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070429#1177797359に書き足そうとして一部アップし、論旨が散漫になるので削除したものを、文章を足して以下アップする。
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ずっと前、ペドファイルの知り合いがたくさんいた頃、ある先達がペドファイルを合理化しようとしてこんな理屈を述べたことがある。
「(第三世界での)少女買春をいかんというが、しかしその少女が飢えて死ぬのと、少女に何がしかの金を支払うことで少女が生き延びることと、どちらがより望ましいか、こういう風に論を立てたい」
私はこの論に全く不同意だった。これは被害者に共犯意識を要求し自分を免罪しようとする論だ。私はそういう論を生理的に受け付けない。
私は変態であるから*1、悪をなすこと自体を断罪するオタメゴカシ趣味はない。全然違う視点から言うと、たとえば革命は成功しなければ犯罪として処理される。大塩平八郎の乱は江戸幕府体制下では重犯罪だ。フランス革命はブルボン王朝にとって重犯罪だ。だが人は当時の重犯罪者の側に共感し、我々は通常これら重犯罪者の側を賞賛し描写する。
ペドファイル犯罪は私的犯罪であり社会的正義なんてないから、単に私的欲望を発露するだけである。それは悪の行為だ。悪をなす際に悪をなすと自覚して悪をなすべきなのだ。
私は変態であると同時に、基本価値観をマンガ家価値観に設定している。悪をなした人間の作品が優れていればその作品は評価されるべきであり賞賛されるべきだ。ヘタクソでつまらない作品だというのに宣伝の力でだけ売ったりあるいは売れたふりをしたりするのは最も軽蔑すべき唾棄すべきことがらだ。安倍晋三は後者に相当する。
安倍晋三周辺は「ソフトなムードの安倍晋三」というのを宣伝しようとしていたそうだ。私が最も憎悪するのは、こういうオタメゴカシであり、その対象に存在しない美点を並べ連呼する田舎芝居的無様さだ。悪をなしているのに悪をなしているとすら気づかないばかりか、それを悪ではないと強弁しようとする無恥ぶりだ。私はそれを最も憎む。
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私は安倍晋三を毎日のようにこき下ろしているが、小泉純一郎を今までブログであまり批判したことがなかった。私は小泉政権への評価がわりと甘い。たしかに小泉政権の間に情報統制政策はいっそう進んだ。だが小泉はメディアを自覚的に用いた。私は悪をなす自覚をもって悪をなす人間への評価は甘い。およそ政治や国政は民衆の素朴な道徳観を超えた決断を迫られるものであり、悪をなす覚悟程度は必要だ。
小泉のライバルとされる人々はメディアを強権でもって統制しようとした。いやたしかに小泉もたぶん強権でもって統制したんだろうが、少なくとも我々にはそれまでの自民党よりはスマートなメディア利用だと見えた。小泉のライバルたちはオタメゴカシで悪を隠蔽しようとするタイプの悪だった。少なくともそういうタイプの悪だと小泉は宣伝し、それは事実だった。私はオタメゴカシで悪を隠蔽しようとする悪を最も憎む。小泉のライバルたちに対し小泉は残酷だった。だから小泉には「人気」があった。
小泉純一郎は決定的な時期に決定的な役割を果たしたという意味で日本のためになっていない人間だが、評価できる点もある。私は小泉純一郎を以下の点で評価している。
自分の考えを党の圧力・党の族議員・党の慣習に優先させたこと。別な言い方をすれば独裁的に振舞ったことだ。日本政治の最大の悪は責任が集約されない点にあった。小泉純一郎はさまざまな悪しき政策を行なったが、少なくともそれは全て小泉純一郎の意思によって行なわれた。これは重要だ。総理が総理として振舞った、戦後数少ない例だからだ。そして小泉純一郎以外の人間が総理になったとき総理として振舞える可能性を日本に残した。これが最も評価できる点だ。民主制とは交代可能な独裁制だと言える。日本では「責任中枢の不在」を「民主主義」と呼称する恐ろしい欺瞞が、主犯自民党により、主に保守言説によってなされてきた。保守を自認する人々は俺たちのほうじゃないと言うだろうが、それはともかく。責任中枢さえ責任中枢として機能すれば、有能な人間が責任中枢として振舞えば、日本は良い方向へ舵取りが可能なはずだ。そのためには責任中枢が責任中枢として機能することが必要だ。
次いで、我々オタクにとって「小泉を敵だと認定するには躊躇があった」理由として、小泉純一郎は「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-179.html」を時に排除したことが挙げられる。小泉純一郎の基盤は経済右派と「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)」の双方だったが、経済右派を優先し、「政治思想上の右翼」をしばしば切り捨てた。私の基本的立場は「オタク規制反対」「メディア規制反対」であり、その主たる敵は「言いがかりをつけてオタク規制・メディア規制をしたがる『宗教右翼』」だ。それはたとえば「生長の家」の族議員である平沼赳夫であり、「日本会議」系列の議員だ。小泉純一郎の党内対立の「演出」は自作自演の「演劇」である側面も強くあるが、それでも経済右派と「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)」が対立したとき前者を選び後者を切り捨てたことは、異論はあるだろうが、「オタク規制反対」「メディア規制反対」の立場からは評価に値する。経済右派は少なくとも彼らなりの経済合理性に基づいて行動している。ならばオタク産業が日本の基幹産業たり得ることを彼らに説得すればいい。「政治思想上の右翼(宗教右翼)」は経済合理性自体に対立する。そのぶんタチが悪く、説得も通じない。宗教右翼にとってオタク規制は彼らの存在証明の一部をなしており、あるいは彼らが愚民を騙すときの基本言説となっており、彼らのプロパガンダと我らとは全く相容れるところがない。そして安倍晋三の基盤は前者よりも後者にある。それ故、安倍晋三は我らオタクにとって「敵」だ。
しかしながら、小泉純一郎の最大の愚行は、安倍晋三を「売り出した」責任者の一人となったことであり、後継者に安倍晋三を選んだことだ。小泉の政治背景を考えれば彼がそうしたのはある意味納得可能だが、小泉純一郎にある程度評価できる側面を見ていた者としては、これにより小泉純一郎の評価できる点は全てチャラになった。
安倍晋三は腐れ宗教右翼のプリンスであり、経済合理性の欠片すら理解できる脳を持たず、無能ゆえ全く総理として振舞うことのできない豚だ。この豚の如き痴呆を「宣伝」の力でだけ国民に売り込もうとした売国奴どもの振る舞いはセイント・フォーを「宣伝」したのに匹敵する無様さだったhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060917#1158457101。あるいは、翌週から載る漫画の予告に「早くも大人気!」と書いてあり、いざ現物を見ると「よくこんなヘタクソが編集会議通ったなあ、10週も持たないぞ」と思わせるヘタクソな漫画が『少年ジャンプ』の巻頭を飾り、駅ポスターを飾り、車内広告を飾り、そして実際10週もたずに連載打ち切りになるのを見るような無様さだ。
そして、無能無策の安倍晋三が総理になったことで、日本政治は小泉純一郎出現以前の、責任中枢のない混沌になった。責任中枢の不在こそは日本の最大の悪徳だ。低能の安倍晋三総理は、その責任中枢の不在をシンボル化したような、具体化したような人物だ。だから安倍晋三周辺はマンガよりもマンガじみている。
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