カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

父親

二週間くらい前に父親に久しぶりに会った。私の父は「話し上手」だ。自分が喋ろうとする事柄にストーリーとテンポを作って喋り、オチをつける。オチを語るまでがワンセットで、そのリズムと内容はなかなか聞かせる。私自身わりと幼い頃から妙に国語力が高かったが、それはこの父譲りなのだろうな、と改めて思った。
「オチまで語る」ことにこだわるので、父は相手の話は原則的に一切聞かない。なので父の語る「話」=ストーリー自体は聞いていて面白いのだが、対話は成立しない。父は「話し上手」だが、聞き下手だ。父は資質としては、演説家、スピーカーとしての能力はわりと高いのだろうな、と思う。父と会った数日後に、都議会候補の選挙演説を聞き、下手くそさにげんなりし、改めてそう感じた。その都議会候補は当選した。
父は若い頃スポーツの能力が高かった。特に動体視力が優れていた。老いてもまだその能力は高い。もしふつうに高校へ通っていればスポーツの世界でそれなりに成功したと思われる。しかしながら祖父は父に学問をつけるつもりは皆無で、父は中卒で学歴を終えさせられるところだった。そこを父は、自力で学費を稼ぎ、夜間高校に通った。父の世代では日本全体では高校進学率はすでにそこそこ高かったはずだが、我が村では父が夜間高校進学の一人目だった。なので部活動などは父は一切することがなかった。スポーツ能力を生かすことは、その人生でほとんどなかった。趣味の狩猟に生かす以外には。父はスポーツマン体質だったのだが、私自身は小学生の頃肝臓を患い、動くこと全般が苦手となった。
私は母親とは相性がたいへん悪いが、父親のことを恨んではいない。父親は善人で、魅力のある人物だ。ただし父親は苦労をし、その能力をほとんど生かすことなく人生を過ごした。経済的には最終的にまずまず成功をしたが、劣悪な環境のため視野や世間が狭いところがある。父の語るストーリーは残念ながら「社会」が欠落している。父の触れる「社会」が狭隘で貧弱だからだ。私には浮世離れしたところがあるが、それも父譲りだ。私が子どもの頃、父は体を壊した。そのため母は過度に私に依存をし、私と母親との関係は今に至るもこじれている。私は得るべき情報を得ないまま過ごし、色々と人生をムダにした。父もしないでもいい苦労を祖父のためにさせられた。父がいかに苦労したかは父が語る自慢のストーリーの一つだ。そのストーリーは聞いていて面白いが、私がどう苦労しているのかについては、父は聞き下手もあり、想像を超えるようで通じない。父にムダに苦労をさせた祖父は頭がよく意志の強い人物だったが、少し了見が狭かった。祖父は理想主義者なところがあり、親族に苦労をかけることを躊躇せず、そのため父がムダに苦労をした。書いて改めて思うが、祖父の性格の多くを私は引き継いでいる。
このエントリは肉親自慢である。たまには親族のことを自慢してもいいかなと思い、ここにそれを記す。

感じるところのあった同志は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。

画像はhttp://piapro.jp/content/yuni2ob2at5rx6ra(ごじょん)から。