自民公明政権の負の遺産、司法改悪
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私なんぞが語ることではないんだが、司法改悪について呟く。
旧司法試験は来年2011年に終了する。新司法試験は2006年から始まった。司法改革は、日本の法曹人口が他国に比べ少ない、ということから始まった。たしか。一応は。
旧司法試験は、受験制限がなく、日本で一番間口の広い国家試験だった。それが人材の多様性を担保していた。何度でも受験でき、合格者の質に問題はなかった。
新司法試験は、受験資格獲得のためにロースクールに長年通わねばならず(非ロースクール出身者のために予備試験が2012年から開始するが)、受験資格はロースクール卒業後5年以内に3回のみであり、そして旧司法試験合格者と比較して、新司法試験合格者は質が低いと言われている。http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/526424b88581003ce614403a328916ea 乱立に至った原因の一つは、公明党がゴリ押しして創価大学にロースクールを作ったためだとも言われる。来年以降、資産のある一部階層からしか法曹人は今後生まれなくなる。そして多額の資本と時間をかけ、合格できなかった人のその後の人生は? http://anond.hatelabo.jp/20090607154711 ヤクザくらいしか雇ってくれないんではないか、と、2001年ごろから囁かれている。ヤクザとしては脱法行為をするために法律に詳しい人を必要とする。
これらは制度が始まる以前から予想され危惧されていたことだ。予備校は受験のノウハウを持っているが、大学(ロースクール)は実際には受験のノウハウを持たず、しかもロースクール自体乱立したため授業能力者が足りない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100330-OYT1T00016.htm?from=nwlb
法科大学院24校「不適合」、教育内容に問題あり
法科大学院の評価機関「大学評価・学位授与機構」は29日、大学院3校の評価結果を公表し、静岡大を教育内容に問題がある「不適合」とした。
これにより、2004年の一斉開学から順次行われてきた全74校の評価結果が出そろい、約3分の1の24校が不適合だった。
法科大学院に対する第三者評価は、同機構を含めた3機関が実施した。不適合と認定された24校のうち6校は国立。また、14校は昨年の新司法試験で合格者数が1けたにとどまっていた。不適合校は文部科学省の調査対象となって改善指導などを受けるが、7校は2回目の評価で改善が認められ、現在は適合となっている。
不適合の理由として目立つのは、司法試験対策に偏った授業内容と、教育態勢の不備だ。約3割は過度の試験対策を指摘され、「受験予備校と連携して学内で答案作成の練習会を開いている」「カリキュラムが司法試験で出題される法律基本科目に偏っている」といった問題も明らかにされた。
同機構の平野真一・機構長は29日の記者会見で、「各大学院が合格一辺倒になり、幅広い見識を持つ法曹を養成するという初志がゆがめられている」と語った。法科大学院は当初想定より大幅に多い74校が乱立し、修了者を対象にした新司法試験の合格率は昨年、最低の27・6%にまで落ち込んだ。各校は、大学院への志願者減少と学生の質の低下を食い止めるため、司法試験対策を重視せざるを得ないのが現状だ。
また、教育態勢の面でも、「実績のない人が専任教員となっている」など、5校が教員の質の問題を指摘された。出席率が4割でも定期試験を受けさせていた例などもあり、法務省幹部は「十分な教育態勢が整わないまま、法科大学院制度に乗り遅れないよう開学した学校も多い」と分析する。
一方、中央教育審議会(文科相の諮問機関)の特別委員会は今年1月、問題のある法科大学院14校を公表したが、このうち11校は第三者評価の不適合校と重なった。
ただ、同委員会は「新司法試験の合格者が少ないのに必要な対策をとっていないのは問題」という“合格実績重視”の判断基準を採用しており、司法試験対策をマイナス要因と見なす第三者評価とはずれがある。ある私立校の大学院長は、「中教審の基準をクリアしようとすると、合格実績を上げる教育を推し進める結果になり、第三者評価で不適合になりかねない」と戸惑っている。
(2010年3月30日10時16分 読売新聞)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436723604
それから下の方が仰る通り、ニュースで発表されている合格率は全くあてになりませんよ。なんせあの合格率の出し方であれば、愛知学院の既習者の合格率は100%ですからね。では愛知学院に入学した人の100%が合格するのかと言えばもちろん違います。何十人といる院生の中で卒業できたのが何人かで、その卒業生の中で受け控えせずに受けた人が1人で、その1人が受かっただけです。
ですから合格率を見るならばせめて、入学者数に対する合格者数の割合を見なければなりません。それに大学院卒業後5年以内に受かった人まで含めた数字なので、大学院入学後8年経って受かった人も含まれてしまいます。よって大学院入学後3年か4年以内(最短)で合格する確率となるとまた計算方法も違ってきますし、出願はしたけど受けなかった人を含めるかどうかでも全然数字が違ってきます。
しかも貴重な受験回数の3回のうち1回を使わないといけないので勝算がある人だけが受けます。実際に去年も、出願はしたけど直前になって受け控えをしたという人が約2400人もいました。
ですからこれらを考慮に入れると合格率はもっと下がります。それにそもそも大学院を卒業できなかったり、留年・中退する人も大勢います。
ということで今から弁護士になろうと思って適性試験を受けた場合、無事入学できて3年または4年後(最短)に合格出来る確率となると今や7.4%です。これを未修希望者のみで計算すると3.44%です。(最新データ)5%を切ってます。今では定員が25人程度の大学院もありますが上位約8%というとそのうちたった2人だけです。つまり、法科大学院に入学できた25人のうち23人が落ちます。
この様に、データは詳しく分析しないと正しい判断が出来なくなりますから注意が必要です。
* 回答日時:2010/2/16 17:22:03
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1131010071
今はとにかく司法試験の受験資格を得るまでが大変です。法科大学院を卒業し、法務博士号を取得する必要があります。(予備試験もありますがまだ構想段階です。)
受験資格を得ても、その後5年以内に3回しか受けられません。そして受かってからも研修とその後の試験があるので順調に行ったとしても弁護士になれるのは司法試験合格から約2年後です。つまり、大学で4年、資金作りとロー受験のために3年、ローで3年、受験期間5年、研修卒業試験まで2年で、合計17年かかることも普通に有り得ます。(家が金持ち、かつ頭が良くて全て現役ででも最短で8、9年です。)さらにその間、莫大なお金が必要です。
実際にいた人で試算した所、ロー対策予備校、法科大学院、試験対策予備校、合格後の研修期間で合計1400万円プラス大学の学費となりました。
以下、司法試験受験までの普通にあり得る過程をざっとまとめてみました。
まず大学を卒業している必要があるので、もししてないなら大学に入学します。そこで4年間勉強し、他にも卒業後または余力があれば在学中に1,2年間予備校か独学で法科大学院の受験勉強をします。3年コースの予備校もあります。
頭が良く、かつお金があるなら在学中にロー対策の勉強をすればいいのですが可能ならTOEICや数学の統計・確率の勉強もしておいた方がいいので、大学の単位を取りながら、バイトもしながらでしたら、その中で予備校に2、3年通うのは現実的にはなかなか大変でしょう。
それにとにかく法科大学院はお金がかかるので家がお金持ちでなければこの時期少しでもお金を稼がないといけません。
ですから4回生の時から就職活動はせずに3年コースの予備校の授業に通う人もいますし、お金を稼いで卒業後2,3年後から予備校に通う人もいます。特に実績のある有名法科大学院に合格する為には予備校はかかせないでしょう。
予備校の授業料は120万円以上の所もあります。節約するなら模試や問題演習とその解説を外したり基礎コースを外したりできますが、それでもし上級クラスの授業が分からなければ意味がないですしね。
さらに大学の時の成績や社会経験、ボランティア暦、職歴等は卒業後はもうどうしようもないのでこれらがあまり良くない人は不利な状況の中モチベーションを維持するのが大変です。なぜなら例えば300点満点のうち、最初からこれらが減点された状態になるからです。(減点の割合は大学院によります。)
他にもステートメント作成と小論文試験の対策も必要です。そしてセンター試験に相当する適性試験対策の講座は予備校で一年コース等ありますが、ある予備校では50万ほどかかります。もちろん節約は可能です。
そうして大学卒業後例えば2、3年後に晴れて難関法科大学院に受かったとしても今度は大学院の授業がかなり大変です。授業についていくのがやっとで、予習、宿題も多いのでノイローゼ気味になっている方も多く、こちらの知恵袋でも「今は何とかついていってるがもう無理だ」「やめたい」と言った質問を目にします。ちなみにある有名ローでは3年で授業料他交通費などの諸経費を含めると750万円以上になりました。
そして標準コースでは3年間大学院で勉強しますが単位を取るのがやっとで、新司法試験の受験勉強が全然出来なかったという人もいます。ですから大学院に行きながら予備校にも行っているという人もいますし、本音は皆そうしたいそうです。大学4年間で数百万使い、予備校2,3年で170万、大学院3年間で750万円、さらに新司法試験対策の予備校にも通おうとするとお金がいくらあっても足りません。そんなこんなでやっとの思いで大学院を卒業し、法務博士号を取得できればようやく司法試験の受験資格が得られます。
でもまだ安心はできません。やっと受験資格を得ただけです。
一発合格できればいいですが、こんなに大変な思いをしてようやく受験できたエリート達が受けても今や合格率は20%台です。7、8割が落ちます。
ちなみに関西私立のある有名ローの3年コースでは例えば学年で50人中5位以内の成績で卒業しないと受からりませんが計算上、50人中、東大と京大と阪大の出身者が13人を占めていました。。。
しかも5年間のうち3回しか受験資格がないのでこの間は可能なら皆、予備校に通いたいでしょう。でもそれで受かればまだましですが、だめだったら最悪です。その後どうするのでしょう。。。
ロー時代に奨学金で月30万借り、司法試験合格後の研修期間も借入でしのぎ、弁護士になる頃には借金が1200万になるという人もいます。
とにかく司法試験は時間とお金と忍耐、そして何より精神力がいる試験です。生半可な気持ちでは非常に危険です。授業についていけず中退する人も多いです。〔略〕
* 回答日時:2009/9/27 03:07:29
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2001年(平成13年)の法務委員会での、枝野幸男議員の佐藤幸治(ロースクール構想者)への質問(国会会議録検索システムから)枝野幸男発言は青文字とする。
151 衆議院 法務委員会 20号 平成13年06月20日
○枝野委員 私は、法曹養成制度の問題についてお尋ねをしたいと思います。
法曹人口を大幅に増員するべきであり、そして、そのためにプロセスとしてのロースクールという発想までは大賛成でありますが、今回の答申の法科大学院、こういう構想には、内容的にも手続的にも納得がいかないというふうに思っています。
答申の六十一ページに、「「ダブルスクール化」、「大学離れ」と言われる状況を招いており、法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼすに至っている。」と答申はしています。どんな重大な影響が出ているのですか。佐藤先生に。
○佐藤参考人 申し上げるまでもありませんけれども、今の大学の法学部の実情というのは、もともと教養教育、専門教育、いずれともやや中途半端な状況にあります。専門でもない、教養を十分身につけていただく状況でもない、もともとそういう状況にありました。大学として、大学紛争などがありまして、本格的にそれに取り組むのが相当おくれたのでありますけれども、ようやくここに来て大学をいかに再生すべきかという課題に取り組んでいるところであります。
それで、法曹となるためには、私はよく言うのですけれども、人生には踊り場が必要である、その踊り場で自分がどういう道を歩むべきかということを真剣にじっくりと考える期間があって、そして、その上で職業を選択してもらう、そしてプロとしての教育を受けてもらう、そういう形に持っていかないと、中にはどういうシステムをとりましてもうまくいく人もいるでしょうけれども、全体のシステムとして考えたときに、そういう大学がプロフェッションの教育を担わなければいけないということ、これは世界的にもそういうことでありますし、我が国が、そこは著しく立ちおくれてきたということでありまして、そこを何とかしなければいけないということであります。
今、重大な問題は何かということでありますけれども、やはりこれは試験一発主義、試験信仰、試験万能、一発の試験ですべてが決まるという、そのシステムの持っている限界ということを私ども考える必要があるのじゃないかということを申し上げているわけです。
○枝野委員 佐藤先生ともあろう方が、質問に正直に、真っすぐに答えていただかないと困るのです。
法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を与えているとここでは書いてあるのです。大学教育に影響を与えているとか、そういうことを言っているのじゃないのです。つまり、ダブルスクール化、大学離れ以降の法曹の資質には問題があると書いてあるのです。どこに問題があるのですか。
○佐藤参考人 それは、さまざまな見方があるかもしれませんけれども、法曹をプロとして考えるときに、あるべき法曹ということをこの最終意見書にも書いておりますけれども、豊かな教養とそれから豊かな専門的な知識、プロとしての知識であります、それをじっくりと育てる必要がある。それが今まで満たされていなかった、十分そういうシステムがなかったということから、大学へ入ってすぐ、例えば大学以外のところに行って、試験に通るようにできるだけ効率的な勉強を目指す。それをまず目指す、大学に入ってすぐ。そういうことは、人間の養成としていかがなものであろうかということを申し上げているわけでありまして、一人一人の法曹がどうだとか、今の法曹がどうだとかということを申し上げているわけではありません。あるべき姿として、そういうことであるべきだと申し上げています。
○枝野委員 だとしたら、この文章を変えなければおかしいのです。重大な影響を与えているのじゃなくて、こういうことがあるべきだけれども、あるべき論と今が違っているというのだったらわかりますが、これだったら現在の、最近のダブルスクール化、大学離れ以降の法曹は資質がないと言っているという中身になるのですよ、どう考えたって、この文章を読んだら。どう考えたって違うのじゃないですか。
では、違う論点から行きます。
今先生もおっしゃいました、試験に受かることに最短で行くための試験勉強になっている。先生御自身も司法試験委員をされていたと思いますけれども、司法試験というのは、そういった受験技術を身につければ受かる、そんな試験をされてきたのですか。
○佐藤参考人 お答えします。
私も、九年間司法試験委員をやりました。最初のころは、できるだけ暗記に頼らないようにということで、私がなったとき問題を工夫したことがあります、そのときの皆さんで相談して。そうしたら、国語の問題のようだといって御批判を受けたことがありました。しかし、それに対してまたすぐ、数年たちますと、それに対応する対応策が講じられて、トレーニングをするようになりました。その効果はだんだん薄れてまいりました。
申し上げたいのは、試験を一発の試験だけで決めようとすると、試験の内容をどのように変えても限界があるということを申し上げたいわけです。
○枝野委員 別の視点から聞きます。
今回、受験技術優先、それから受験予備校に大幅に依存するダブルスクール化ということを問題だという視点から取り上げていらっしゃいますが、例えば、受験予備校の実態、そこでなされている教育、そこで教育をしている教育者の立場、そこで教育を受けている人たち、そういうところの教育の結果として司法試験に受かったそういう若手法曹の意見、こういうものはどれぐらい聞かれましたか、あるいは調べましたか。
○佐藤参考人 直接ヒアリングに来ていただいて伺ったということはしておりませんが、いわゆる予備校などから審議会あてに、こういうことだ、こういうことを考えていただきたい、そういう文書はちょうだいしておりますし、私もそれは目にしております。実際にどういう実情にあるかというのは、私はつまびらかにはしませんけれども、私の関係した学生やいろいろなものを通じて、どういう教育の仕方になっておってどうかということは、ある程度は私個人としては承知しているつもりであります。
○枝野委員 つまり、十分に御存じになっていなくてこういう結論を出しているわけですよ。
この法曹養成の問題というのは、もう端的に言えば、受験予備校と大学とどっちがいい教育をしているのか、どっちが時代に求められる、社会に求められる教育をしているのかというところが、一つの大きな争点なんです。ところが、この法曹養成にかかわってきた委員の皆さんは、全部大学関係者なんです。ところが、この大学教育では、法曹としての資質を、あるいは法学としての基礎素養を覚えられない、身につけられないから、司法試験予備校が少しお金が高くたってみんな行っているわけですよ。
そのことに対しては、当事者である皆さんの意見だけで物事を判断している。手続的にまさにおかしくありませんか。公正ではないのじゃないですか。これは自分たちの大学というものの存在を守るための結論になっている、そう言わざるを得ないと思いますが、いかがですか。
○佐藤参考人 先ほどから、プロとしての教育ということを申し上げてきました。そして、もう一つお考えいただきたいのは、国際資格、そこの勉強をすることによって、どういう国際的に通用する資格を取得するかという問題にもかかわっております。それは、国のあり方として、その問題は真剣に取り組むべき課題であろう。
そして、先ほど来申しておりますように、法曹プロの教育に大学が責任を担わない国というものは、私の理解するところ、ないと思います。今の大学がどうかという判断、評価は別であります。別でありますけれども、この最終意見書は、国民生活上の医師であるというように位置づけておりまして、医師ならば、医師という理解が正しいならば、それに見合うような教育のシステムを我々として考える必要がある。そういう観点から考えておるわけであります。
○枝野委員 それは、大学教育を抜本的に変えなければならないということが一方であるのは当然です。しかし、だとしたら、このロースクール構想とかが出てくる以前の問題として、各自の大学が今まで何を努力してきたのですか。予備校に全部学生をとられて、そして今まで何年間、何をやってきたのですかということを一つ申し上げたい。
それからもう一つ、医師という話をしました。では、医師養成プロセスの話をどれぐらい調べられましたか。医学部が医師を養成していますが、医師国家試験のために、結局ダブルスクール化、予備校化しているのを御存じではありませんか。
○佐藤参考人 後者の方から申し上げますけれども、私も、自分のことを言ってなんですけれども、京大で、井村総長のもとで特別補佐をやったことがあります。井村先生は御承知のようにお医者さんでありますが、医者の実情についていろいろ、よく議論をいたしました。今のやり方で十分とは思わないというのは、井村先生もよくおっしゃっておりました。
ちょっとそれはあれしまして、今ここで申し上げたいのは、医者の試験が難しいといいましても、一発のその試験だけで医者として資格を認めるということはないはずです。医学部の教育、今の医学部の教育がいいかどうか、これはさっきも紹介した井村先生の話なんですけれども、少なくとも今のを前提にしましても、医学部で教授について、いろいろなプロセスを経て教育を受けて、そして試験がある。プロセスは何もなくてもいい、試験だけ通ればいいというシステムには、私は今の医学部の試験はなっていないと思います。
それで、プロの教育というのは、やはり過程が大事なんだというように考えるわけであります。
○枝野委員 私は、最初に申し上げましたとおり、ロースクールということで、プロセスで教育をするということを否定していないのです。今の大学をベースにすることが間違っていると申し上げているのです。
それで、今の医学部教育も、プロセスとして大学医学部でやる、それはいいことなんですよ、いいことなんですけれども、結局は予備校化していますね。ダブルスクール化していますよ、かなりの部分。医師国家試験のための予備校というのがたくさんできていますよ。どこに問題があるのかといったら、教え方に問題があるのですよ。教える側の問題なんです。ちゃんとプロセスで、医学部で教育をして、そこでちゃんと教わっていれば受かるように教えていればいいけれども、それを教えていないから、だからプロセスとしての医師養成教育にしても予備校がたくさんできるのです。
というのは、予備校は競争しているから、きちんと、どうやったら一番効率的に教えられるかという努力をしているのです。大学には競争がないから、それがだめなんですよ。だから、既存の大学をベースにロースクールをつくってもだめだ、学校教育法なんかで守られるロースクールをつくってもだめだ、自由競争で競争させる、そういう法曹養成プロセスをつくらないと、結局同じことになりますよ。いかがですか。
○佐藤参考人 今までの法学部の、さっきから申し上げたように教え方がよかったかどうかということは、これは私自身も、おまえはどれだけやっていたかと言われれば、内心じくじたるものがあります。
ただ、申し上げたいのは、今のような一発試験のもとで法学部で頑張ってくださいと言われても、これは限度があります。これは、全体のシステムの中で法曹をどう育てるかという観点からの法学教育であり、大学院のあり方だということをぜひ御理解いただきたい。
そして、予備校でやっている、どうだと。私の理解する限りは、さっき申し上げたように、効率的にいかにとなりますと、それは、正解があって、正解を求める、そういう発想になりがちです。これからのローヤーにとって大事なのは、考え方を鍛えることです。
私は憲法ですけれども、例えばアメリカの憲法のケースブックをごらんになればわかりますけれども、正解なんて一切出てきません。あらゆる角度から問題をぶつけて考え方を鍛えるのです。そういう考え方を鍛えるためには、豊かな教養で、そして何年もかけて教えなければできることではないと思います。
予備校のように教えろというなら教えられないわけではありませんけれども、そういうことが大学の役割ではないというのが私の考え方です。
○枝野委員 その考え方を身につけさせるという教育を大学がされているということは、私もそう思います。そう思いますけれども、私は最初の方で、実際に予備校で何をどう教えているとかときちんとお調べになりましたかということをお尋ねしました。間接的にしかお調べになっていないですね。受験技術も教えています。つまり、試験の最終盤とか、受験予備校に例えば三年通っている三年目とかというのは、確かに、技術、答案の書き方、そういったことも教えています。
しかし、法学入門的な話、あるいは学部の講義のレベルの話、そういう基本的な法律の物の考え方とか、民法とは何なのかとか、憲法とは何なのかという基本的な話を実は大学で教えてくれていない。あるいは、教えてくれている先生が少ない。つまり、そういう研究者、高度な専門家の皆さんにとっては当たり前のことを大学では教えていないのですよ。高校を卒業して、いきなり入ってきて、高校でも、もしかすると、今公民というのですか何というのですか、つまり歴史すら勉強していないかもしれない大学新入生に対して、いきなり憲法の最先端に近いようなレベルの高い授業をやっている。どの科目だってそうですよ。そういう大学教育があるから、だから、みんな予備校へ行くのです。
そういうことをきちんと予備校では教えていますよ。つまり、憲法とは何なのか、民法とは何なのかという基本的な、本来、大学の二、三年生、一、二年生ぐらいのところできちんと教えなければならない、そこのところの教育が欠けているということの自覚なしに、大学をベースに幾らこういうものをつくっていったって、基礎のところが違うのだ。だから、実際に予備校で学んでいる人や予備校出身で司法試験に受かった人、そういう人たちの話を聞かないで結論を出したって、明らかに片手落ちだ。
こういう手続的にきちんとしたプロセスを踏んでいないような答申には私は賛成できないということを申し上げて、終わります。ありがとうございます。
ここに見る佐藤幸治の発言はどれも気持ち悪いほど観念的だ。何一つ実態を調べずにロースクール制度ははじまった。司法改悪のうち、ロースクール構想は、予備校の利益を大学が奪い取ろうとしたものだったんだろうか。実際には、法曹志望者は予備校にも通い、間口が狭くなり、条件は厳しくなり、リスクが増えた。このままでは日本の司法の未来はかなりまずい。というか、この改悪は、日本の司法制度にたぶん致命的な傷を与えた。この傷は修復に半世紀くらいかかる。ひょっとしたら修復しないかもしれない。
日本の三権のうち、司法は、比較的にマトモに動いてきたと思う。それを壊した。
法曹人が少ない、という問題の解決に、ロースクールなんて必要なかった。旧司法試験制度を年複数回実施すれば解決したはずだ。仮に今すぐ旧司法制度を復活させようとしても、新司法制度ロースクールに現に通っている人々をどうするのかという案件が浮上する。旧司法制度時代にはなかった厄介な問題だ。2005年以前の日本にはもう戻れない。
自民公明は、実のところ、何を狙って司法改悪をしたのだろう。法曹を実質的により国民の手から遠いものにしたかったのだろうか。
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155 衆議院 法務委員会 3号 平成14年11月01日
○枝野委員 〔 ロースクールの責任と権限は文部科学省大臣にあり、法務大臣にはなく、ロースクールの認可申請は基準を満たしていたら認可するので 〕したがって、ロースクールを出た人の何割ぐらいは司法試験に合格するような制度にしようかだなんて議論をさんざんしてきました、五割がいいのか、七割がいいのか、その議論は全く成り立たないことになりますね、森山大臣。
○森山国務大臣 しかし、大学院の教育の内容につきましても、法律の中にもちょっと触れておりますけれども、少人数教育でやるべきであるということ、それからその他、実務家の教員をたくさん集めなければいけないとか、いろいろなことがございますので、先生が御心配なさっていただくように、非常に多くの人が条件にかなった申請を出してくるということは、実際問題としては少ないのではないかと思います。
○枝野委員 そんなことがコントロールできないんじゃないですかということを申し上げているんです。逆に足りないかもしれないじゃないですか。法曹人口を少なくとも一年間で三千人合格という話をしているのに、総定数が全国を合わせたって二千しかなかったなんてこともあり得るわけじゃないですか。それは、少なくとも制度としてはやってみないとわからない仕組みじゃないですか。そこを行政指導的に何かまたごちゃごちゃとやって調整するんですか、法律の根拠なく。
だから、わからない制度をつくっているわけですよ。もしかすると、ロースクールにみんなわっと人が集まるから、金あるからばっともっとつくろうというようなところが出てきたっておかしくないわけですし、それはもう全く法律的には、制度としての組み方としては根拠ない話なわけです。
しかも、そうだとすると、両方あり得るわけですけれども、ロースクールを出たらほとんどみんな合格するということになるかもしれないし、ロースクールは出たけれどもという話になるかもしれないし、これは制度をスタートしてみてからでないとよくわからない。適切な程度になるかどうかというのは、偶然とは言わない、やはりいろいろなマーケットメカニズムも働くのかもしれないけれども、しかし、これは我々が意図してできるものではない。
ということになると、さあ司法試験、どうなるんでしょう。例えば、ロースクールを出た人の何割ぐらいが司法試験に合格するような制度を組もうかといろいろな議論がありましたが、明確な答えはたしか出していないんだと思います。
ロースクールを出た人は八割、九割が大体合格するぐらいの設定で例えばたまたま法科大学院ができ上がったら、それは恐らく、法科大学院でちゃんと授業を受けていればまあいいかなということになるかもしれない。
九割、十割、十割とはならないでしょうが、九五%ぐらいは合格するような試験になったらどうなりますか。とりあえず落第させられない程度にしておけばいいわな、そんなものですから、幾ら一生懸命授業をやっていただいたって、ほとんど全員がそこで合格するんだったら、やはり人間は手を抜きますよ。そうですね。
逆に、半分ぐらいしか受かりませんねという仕組みになったらどうなりますか。当然のことながら、学校で隣に座って、少人数で教育を受けている隣の人がライバルになるんですから、学校で受けている授業だけじゃやばいよねと、しかも競争試験になりますから、当然、今までと同じように予備校へ行って勉強しようという人が出てくる。
結局、よほど偶然運よく定数の八割ぐらいが合格するような総定数にならないと、このシステムはそもそも機能しないんじゃないですか。
○森山国務大臣 おっしゃるように、あらかじめ何人が、何%ぐらい入って、そして何人ぐらいが受験をして、その何%が合格するというようなことを決めることはできません。やってみなければわからないと、おっしゃったとおりでございます。ですから、法科大学院の数につきましても、国が規制して決めるのではなくて、法科大学院相互の切磋琢磨、競争の中で、教育内容の十分なものが生き残り、不十分なものが淘汰されていくということになるのではないかと思います。
また、法科大学院の中では、厳格な成績評価あるいは修了認定等による厳しい選抜が行われるというふうに承知しております。
なお、新司法試験につきましては、受験資格を法科大学院修了者及び予備試験の合格者ということにしておりますので、受験者の滞留による弊害を防止するための方策として、受験回数の制限ということも導入するつもりでございます。
こういうことから、法科大学院の数を抑制するといったような過度の規制を行わなくても、現在の司法試験のような過度に厳しい競争試験となるということを避けることができるのではないかと思います。
○枝野委員 今、現在の司法試験は過度に厳しい競争試験とおっしゃいましたけれども、そもそも、何でこの制度、つまりロースクール構想というのが出てきたんですか。
だんだん時間がなくなってきたので、こちらからいろいろ一方的にしゃべりますが、今の司法試験の制度を、数が足りないというんだったら、合格者の数をふやせばいいんですよ。合格者の数をふやしたらレベルが下がるというのは非常に形式的な硬直的な議論で、なぜならば、私の周りでも、弁護士になりたい、裁判官になりたい、だけれども、今の合格率のこの試験では、大学四年生では受からないかもしれない、一年留年で五年生ぐらいでは受からない確率の方が高い、だから、力があるし、意欲もあるんだけれども、これは四年で普通に卒業しておいた方がいいよねといって、適性、能力があるのにあきらめていった人がたくさんいるんですよ。
合格者がふえて、合格しやすい試験になれば自動的にたくさん受かるからレベルが下がるだなんていうのは、机の上の計算ですよ。むしろ、もっと当たり前に四年生、五年生で受かる試験にした方が、意欲と能力のある人がばんばん受けてくれてレベルが上がるかもしれない。そんなことはやってみないとわからないことなんですよ。
だから、ロースクールを入れるということの唯一根拠があるとすれば、予備校競争になっているということや、あるいは、プロセスを大事にする教育をしましょうということです。でも、プロセスを大事にする教育をするんだったら、予備試験はどうなるんですか。別のルートで勉強してもそのプロセスと同等ぐらいのことはできるという前提だから予備試験を入れているんですよね。そうですよね。そこの部分だけ。
○森山国務大臣 ロースクールを卒業した人と同じような能力を持つ人がほかの方法でもあり得るということから考えられたことです。
○枝野委員 いいですか。大学がなぜ予備校に負けたか。私は、この委員会でも、申しわけないけれども、少なくとも法曹実務家養成という意味では、試験に合格するテクニックだけじゃなくて、法曹実務家養成の教育のレベルとしても、大方の司法試験予備校の方が今の大学教育よりもよっぽどいいと明言をしておきます。
なぜそうなるか。大学や大学院は、競争が限定されているんですよ。設置基準があって、文部省から設置していただいて、認可していただいたら、そこには補助金も一般的には出て、間違いなく、かなりのレベルで競争が限定されているんです。
ところが、司法試験の予備校は民間ですから、いい教育をしなかったらだれも来てくれないんですよ。だから、予備校の方がいい授業をやってきた、少なくとも私が受けたときには。いや、大学は大学で、僕は大学で受けた教育は別の意味で感謝しています、意味があったと思っていますけれども、法曹実務家養成としては、私は九五%ぐらい、予備校の教育がよかったせいで司法試験にも合格したし、そのときに受けた教育のことをベースにして、その後の法律家としての実務もしたし、今、法律家の視点から政治活動をしているんです。それは明らかなんです。競争がこっちの方が激しいから、いいものを提供しなきゃいけないのは決まっているんです。
テクニックだけで受かる試験なんかやってきたんですか、今までの司法試験委員は。もしそうだとしたら、今までの司法試験委員は物すごい責任を感じてもらわなきゃいけない。司法試験は、テクニックだけで受かるような簡単な試験を出しているんですか。全然違うと私は思いますよ。単に暗記して、大事なところだけ覚えたら答えられるような、そんな生易しい試験を出していないです。
法科大学院をつくった、予備試験もある。予備試験だったらもっと早く受かるかもしれない。予備試験をまさか競争試験にはできないですよね、予備試験の性格上。同等の力を持っている者に与えるんですから、同等の力を持っている人がロースクールの定員の倍ぐらいいたら全部合格させなきゃいけないですよね、予備試験の制度として。うなずいていらっしゃいます。
そうすると、そちらの方が競争が激しい分だけ一般的にいい教育をしますから、競争の激しくない、しかも、誘導尋問みたいなことだったら申しわけないんですが、適度の定数になります、その適度の定数の中の法科大学院に入ってしまったら、それなりの、みんな来てくれるわなという競争の激しくないロースクールと、どちらが合理的な教育をするんですか。競争の激しい方だと答えないと社会主義ですよ。この国は資本主義、自由主義の国なんですから、自由競争の方が、少なくともサービスや物品の提供、供給という意味では、競争のあった方がいいものを出すというのが、かつてのソビエトや中国や北朝鮮と違って、我が国が資本主義、自由主義だということの意味じゃないですか。
明らかに、この制度をつくっても、やはりみんな予備校の方にがっと行く、そういう仕組みになりますよ。そう思いませんか。
○森山国務大臣 法科大学院も、先ほど申し上げましたように、設置することは、それこそ基準に合っていれば認められるわけですので、予想以上の数になるかもしれません。しかし、その中で実際に実績を積み重ねていって、淘汰されていくものは淘汰されていくでしょうし、また、学生自身も厳しく査定をされて、大変勉強もきちっとしなければ卒業できないということになりますと、おのずから、そういう先生のおっしゃるような問題点は避けられるのではないかというふうに思います。
○枝野委員 避けられるんだったら、今までの大学教育の中でこんなに予備校に侵食されずにやってきているんですよ。みんな、高校を卒業して法学部に入った人のかなりの人は、弁護士になりたい、法律家になりたいという意欲で法学部に入る人が一定比率いますよ。
そこで、大学で、普通は、授業を受けてきちんとやっていれば四年で卒業して受かる人もたくさんいるんです。少なからずいるわけです、現実には。だけれども、実は大学で受けている教育よりも、予備校、ちょっとお金かかるけれども行ってみたら、そっちの方がよっぽどわかりやすい教育をしてくれていて、大学では何かよくわけのわからぬことしかやってくれない。だからみんな予備校行って、予備校を通じて司法試験に受かってきているんです。
今までの大学は、では司法試験に必要な素養は教えてきてなかったんですか、そんなことないですよね。必要な素養を教育しようとしてきたけれども、別のところの方がいい教育をしているからみんなそっちに流れていった。同じ轍を今回も踏むことになりますよ。
踏むことになるだけだったら別にいいんです。どうせ法科大学院つくったって、みんなやはり予備校行って、よりわかりやすく教えてくれる人たちから教えてもらって、それで合格するだろう。それはそれで全然構わない、その限りでは。だけれども、二つ困ったことがある。一つは、今までよりも金と時間がかかる、間違いなく。二つ目、大学の既得権を守ることになる。
現に、この間の大学の動きというのは、良心的な意味で頑張らなきゃいけないなと動いていらっしゃる方もあるかもしれないけれども、トータルとしては、法科大学院ができたら、そこに学生が集まってくれないといよいよおれたちの地盤沈下がしてしまうから、頑張って法科大学院をつくらなきゃなという競争をわっと一斉に始めているじゃないですか。
だから、もし法科大学院、ロースクールというプロセスを大事にする教育をしなきゃならないと本気で思っているんだったら、ロースクールの入試自体を司法試験的な、資格試験的なものにして、そこに合格した人を、つまりロースクールで今の司法研修所教育のようなことをやる。
司法研修所のように全部税金で賄いなさいということだとなかなかたくさんつくるということはできないでしょうけれども、三千人、四千人定数で、学校教育法上の学校、大学でなければ大学の自治という問題はありませんから、かなり国で厳格な監督をした教育内容、カリキュラムを組んで、それで運営は民間があってもいいかもしれないけれども、司法試験に合格した何千人という人をそこで実務的なトレーニングをする。それで、卒業のときの二回試験も一定のレベル、水準を維持するということの方が、私は現実的なロースクールの組み立て方だと思う。
残念ながら、この制度を組めば間違いなく大失敗に終わるということを法曹三者に対して、決してこれは実は法務省の責任だけだとは思わない、法曹三者それぞれに対して強く警告をして、質問を終わりたいと思います。
枝野幸男議員(現 行政刷新特命大臣)の、先を見る目は確かだ。
司法改革関係 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050216#1108576704 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060905#1157394660
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ところで、法曹人がどう不足していたのかというと、裁判官が足りなかったので裁判が長期化することが問題だった。ところが、「司法改革」では、裁判官も検察官も定員を増やしていないそうだ。一方、弁護士は数が増えすぎて仕事が足りなくなり、新人では年収が乏しくなるそうだ。これでは裁判の迅速化は無理だ。
誰のための、何を目的とした「司法改革」だったんだろうね。http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/e42a1aeb8625039ad48d8e2733eec533 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4320271.html 司法改革では中坊公平が暴走したそうだが、何が暴走させたんだろう。