世界各地の「神風」、「プロテスタントの風」
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20111110/1320938280の補足。
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847年、イタリアに吹いた神風
しかし、この〔西暦847年の〕後の半年は、モンテカッシーノの大修道院を攻めたいイスラム側と、それを防衛する想いで団結したキリスト教側が、この南伊では最も有名な修道院をめぐっての陸上戦で過ぎた。だがこれも、春にはよく起る増水で、修道院がそびえたつ山の下方に陣取っていたイスラム勢が押し流され、キリスト教側は、これこそ神の恩寵と、感謝にわいたのである。結局、決戦は、生きのびたイスラムの兵士たちも乗りこんだイスラム側の船団と、アマルフィ〔中世イタリアの都市国家〕とナポリが提供した船に乗りこんだキリスト教側の兵士たちの間で行われることになった。
だが、このときも、キリスト教徒たちによれば、神が助けの手をのばしてくれたのだ。海上での決戦がおこなわれる前に、勝負はついてしまったのだから。戦場になるはずだったガエタ〔イタリアの地名〕の港の外の海を、突然の強風が襲ったのである。いまだ港を出ていなかったキリスト教側の船は難を逃れたが、強風は、すでに港の外に来ていたイスラムの船団を直撃した。
ガエタ近くの海岸は、溺死したサラセン人の遺体で埋まったという。〔イスラム船中で〕鎖につながれながら櫂をこいでいたキリスト教徒の奴隷たちは、船とともに海底に消えたのである。神の恩寵にも、優先順位があるのかもしれない。だがこうして、紀元八四六年から七年にかけて行われた、キリスト教の首都ローマの征服を目標にかかげたイスラムの聖戦は、完全な失敗で終わったのであった。
塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界・上』102-103p
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1588年、イギリスに吹いた神風
wikipedia:英西戦争 (1585年)
プロテスタント信条を自らの生き残りのための核心であると考えるエリザベスは、フランス宗教戦争(ユグノー戦争)やスペインに敵対するオランダ人の反乱(八十年戦争)のプロテスタント軍に援助を与えた。一方、フェリペ2世はプロテスタントの拡大に激しく反対しており、フランスのカトリック同盟やアイルランドの第二次デズモンドの乱 (en) (1579年から1583年まで続いたアイルランド・カトリックの反乱)を支援していた。〔略〕
1588年5月にリスボン港を出帆した〔スペインの〕無敵艦隊は、イングランド侵攻のためのパルマ公率いる陸軍を乗船させるべくネーデルラントへ向かった。しかし、英仏海峡に入った無敵艦隊は、イングランド海軍の攻撃を繰り返し受け、そしてカレー沖での火船攻撃を受けて混乱状態に陥り、続く8月8日のグラヴリンヌ海戦での敗北により、作戦続行を断念して北海方向へ退避した。〔スペインの」無敵艦隊は本国へ帰還すべくスコットランド沖を航行したが、ここで悪天候によって甚大な被害を蒙ってしまう。スペインに帰り着いた船は約半数の67隻で、さらにその半数が使用不能な状態になっていた。
無敵艦隊の撃退は海上戦闘に革命をもたらし、イングランドの水夫たちに貴重な航海の経験を与えた。加えて、イングランド人はスペインに対する私掠行為を継続し、そしてネーデルラントとフランスにおけるフェリペ2世の敵たちに増援を送り込み続けることができた。プロテスタントは無敵艦隊の敗北を、神が彼らの信条を助けている証であると理解した。(神は風を起こし、そして彼らは追い散らされたhttp://en.wikipedia.org/wiki/He_blew_with_His_winds,_and_they_were_scattered参照)
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