カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

表現規制反対運動と「在特会」は何が違ったか

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120522/1337704072の続き。以下、身も蓋もないというか、なことを記す。
表現規制反対運動」に人生のかなりを費やされた親友と『ネットと愛国』をもとに、「在特会」と「表現規制反対活動」の相似性・差異性について話をした。『ネットと愛国』を読了していたのは私のほうだけだったので、ちとアレなのだけど、以下書きおく。
1;「在特会」は、工業高校の「おとなしい」生徒が、工業高校的エトスを基盤に、工業高校的「はねっ返り」をいい歳して行っている、そういう「運動」である。
2;「在特会」は、「承認欲求」の発露であり、政治的獲得とかはどうでもいいという「運動」である。
表現規制反対運動」は、それなりに創作能力がある・創作発表能力がある人が中心で、承認欲求のほうは創作活動の方でそれなりに満たしていた。そのため、結果として、ロビー活動が中心となった。
在特会」には創作能力がないので、「運動」が「創作行為」「承認欲求行為」となった。
3;「表現規制反対活動」の性格と、「在特会」の性格との違いは、僅かながら「表現規制反対活動」のほうが社会的階層が上だったことにおそらく帰結する。
在特会」は、地域性(具体的には九州・関西が中心)も含め、在日の方々と社会階層的に競合する層が中心だった。
表現規制反対活動」は、地域性(具体的には首都圏中心)も含め、それより少し社会階層が上で、そのぶん文化資本があらかじめ多かった。海外オタクとの協力が戦略上必要であることを運動中心者は皆理解していた。オタクに国境はない。
4;「在特会」は、「新自由主義的価値観」がマスコミでキャンペーンされた、そのキャンペーンを価値観の土台としている。
そのため、本来彼らが救いを求めるべき社民的・共産党的なものへの嫌悪感が「在特会」の先天的価値観となっており、結果、彼らの行動と政治的要求をむちゃくちゃなものとしている。
在特会」は90年代に喧伝された「新自由主義的価値観」の、最大の被害者である。
5;「新自由主義的価値観」が90年代に喧伝された際の、社民勢力共産党勢力の無能さ・無力さは、「在特会」的なものの成長への責任が、西村修平チャンネル桜や旧来保守政治勢力が負うべき責任の次くらいにはある。
6;親友が言うには、「在特会」は、東西ドイツ合併頃、知的産業からあぶれた東ドイツのホワイトカラーがトルコ移民排撃をしたのに似ているんじゃないか、とのことなんだけど、どうなんだろうね。
以上とりあえずメモしておく。

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