カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

なぜにNHKは橋下徹を好んで放送するのだろうか

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今っさらと言えば今っさらなんだけど。
この頃テレビはNHKのニュース以外ほとんど見ていないんだが、橋下徹のコメントを毎回とって放映しているのはどういうことなのかと思う。
同じ時間の分量、枝野幸男のコメントを放送していたら、日本政治はずっと明るいすっきりしたものになるだろうに
人格的に深みがなく、野心家であることとテレビ芸人としての素質がリンクしているだけの人物のコメントを全国にしつっこく放映することの意図が判らん。どれだけ日本政治に悪影響を及ぼしているのか、NHK報道部はちったあ自覚を持つべきだ。
最近のNHKは芸人と政治家の区別がつかないのか。まあ20年くらい前からそういう傾向はあったけど。近頃のNHKは「フジテレビが大好きでした、給料はNHKのほうが良かったのでNHKに就職しました、80年代のフジテレビみたいな番組作りたいです」臭がプンプンする連中が幅を利かせていて気色悪いやら、フジテレビに就職し直すかさもなくば死ね、と憤りを覚えるやら*1、な感じなのだが、政治家と芸人の区別がつかないのならば、カンニング竹山のコメントを毎回配信してくれ*2。その方がまだ人格的深みがあって日本の未来にとってプラスがある。

2

80年代フジテレビ的「電通」的感覚と橋下徹は、なんか通じるものがあるなあ、とか、上記書いていて思った。似たような薄っぺらさとか。
この薄っぺらさが1930年代日本を強引した革新官僚たちの人格的薄っぺらさと通底するのが、なんちゅうかゲロゲロな感じではあるが。日本は深みのある人格とかには耐えない国家なのかもしれないね。西郷隆盛の人格的深みはそれなりに皆が認めるところだろうけど、その西郷隆盛を殺しちゃった国体だしね。
在特会の薄っぺらさとも別レベルで通じるけど、あまり枠を広げすぎると碌なことがないので以上書いてぶん投げておく。

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橋下にとって「脱原発」のポーズはあくまでネタであり、このくらいのタイミングで「脱原発」から離脱することは予想できたことだ。その意味全然ニュース性がない。橋下が意図していたのは、そこそこ脱原発熱が一般から冷めた時点で「反民主党政権」のポーズをとりながら、「脱原発」から離脱することだった。
一方、枝野幸男は、1;将来的に日本は「脱原発」すべきである。2;現在の日本は「原発依存」している。この構造はそう簡単には脱却できない。3;「依存」している以上、短期的には原発を稼働させる選択肢が有力である。 と語っていた。
橋下は「将来的に脱原発すべきである」というビジョンを持っていないと感じられる。
脱原発」な国民が誰を支持すべきかについて、NHKは、しつっこく誤ったメッセージを伝え続けている。どういう意図あってだろうか。

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