カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

私の仕事のメモを老母が捨てることについて

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仕事のメモを老母に捨てられた。老母は、捨てていない、片付けただけだと主張する。メモの内容のほとんどを覚えていないが、そもそも内部記憶しないで済むようメモして外部記憶化しているのだが、わずかに覚えているメモを指定してそれを出せるものなら出してみろと要求した。もちろん老母は探し出せない。
ここで可能性は二つある。私の記憶が錯誤している可能性と、老母が捨てた可能性と。どちらが事実なのか確認するのはたいへんに面倒くさい。
このわずかに記憶していて指定したメモは、ゴールデンウィーク中にシーツを業者に発注したメモだ。捨てていないはずのメモを見つけることのできない老母は「今度から複写にするべきだ」と言った。複写にしたところで今度はその複写を老母が捨てるから意味がない。

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老母が私の仕事のメモを捨てるのはわりと周期的な現象であり、以下の条件の時にわりと行う。
1;私が不在している。
2;たいがい、繁忙期の直前、もしくは最中。今回はGWの直前であるから行った。8月にはわりと頻々に行なったと記憶している。比較的多いのは、日曜の午前。
3;老母自身の私物(老母宛の郵便物やメモの類を含む)が家や事務所に散乱しているとき。老母が彼女自身に関係するゴミを処分する際、私が仕事のメモをクリップしているコルクボードの上のメモを一緒に捨てる。老母にとって私は老母の体の一部であるから私のメモを捨てることは老母にとって全く問題がない。
この馬鹿な出来事はわりと周期的に行われ、私がそのたびにぶち切れているのだが、我が老母はなぜ私がぶち切れているのか全く理解しない。
というか、これは病症なのだろう。
なので病症の観察として、今後ブログに記載することとする。
次は8月最繁忙期に頻発すると思われる。

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それはそれとして、仕事のメモが捨てられるのは実に辛い。
対策をいくつか考えた。
1;老母の親戚に、私の仕事のメモを捨てないよう陳情する。私の発言など老母は全く意に介さないが、家庭外から指摘されると意に介すことがある。
2;メモが露出しているから老母がそのように振る舞うのだ、と、親族から複数回指摘された。ファイルのようなものへ閉じておけ、と。なので、密閉した箱にメモをしまうこととする。ただし、容易に想像がつくが、次はその箱ごと老母がどこかへ隠す可能性がすげえ高い。欲を言うと、メモというものは見えるところに置かないと忘れてしまい備忘としての意味がなくなるのだが、そこを断念するのは凄く嫌なのだが、断念する。
3;老母の私物は家の中に散乱している。ので、仕返しに、老母の私物を隠して、同じ目に遭うとどの程度辛いか思い知らせる。
とりあえず、3つとも全部実践する。3つめは自分が人間として何段階か格が下がった気がするし、我が老母は「自分が息子に行なう」のと「息子を含めた他者から自分がされること」は全く別な事柄だと感じているので、老母の思考回路上あまり意味がないことも十分に予想される。老母は私に過干渉するのは呼吸するように行うが、たとえば、居床寝している老母に私が毛布をかけてやることすら老母は嫌がる。人間は一般に干渉するのが好きで干渉されることはたしかに嫌いなものだが、老母のそれは極端を超えている。

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老母は我が家で最も整理整頓能力が低い。なので過干渉して「自分は整頓能力は低くない、自分は一人前なのだ」と自己確認しようとするのだろうと思われる。
ただまあそういう風に老母を人間として前提して理解したところであまり意味がなく腹が立つばかりなので、自然災害とか獣害とかそういうものだと前提して老母という獣がメモを触れないよう、構造的にどうにかするほうがおそらく実りが多いのだろう。

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あまりに不愉快な出来事なので、GWを穏やかにやり過ごせる自信がない。言うまでもなくGWは我が商売の最繁忙期の一つなのだが。

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