カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

従兄の葬儀

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20140507/1399471881 の続き。

1

従兄を火葬場に送るにあたり、親族が死に装束を整えた。
従兄には、前述の母親、妻、大学生の娘、中三の息子、が家族だった。あとは妻の母親、妻の妹とその夫、従兄の姉とその夫、従兄の姉の息子、というのが最も近い血縁者となる。私はその次くらいの血縁者となる。
従兄の息子は、生前の従兄が言うところによると、従兄自身よりも私に似ているそうだ。
私は従兄の死に装束を手伝った。死体は冷たかった。
従兄の息子は死に装束を手伝うのも嫌がり、手伝わなかった。遺体に花を添えるのすら嫌がった。遺体を見るのすら嫌がった。私の後ろにずっといた。親の死体を見るとトラウマになるからとかどうとか能書きを述べていた。死体が事故の結果陰惨な状況だったらまた話は違うが、綺麗な遺体で、これを見るのは生涯一度きりでもう見ることがないのだから見ておくべきだと私は思った。
一番血が近いのだからちゃんとよく見て、この光景を覚えておけ、と私は言い、場所を代った。作法通りに父親を送れ、と余計なことまで私は言った。従兄の息子は、突然の父親の死を受け入れることができず、父親の死体を直視できず、父親の死体を触れず、葬儀の作法をこなすことができなかった。耐えられずにその場から逃げて、また戻り、奇矯なふるまいをした。
気持ちは判らないでないが、小学4年生じゃなくて中3なのだから、江戸時代なら父親の死ばかりか元服によって自らの死をも受け入れる年齢なのだから、ちと精神年齢が幼すぎるのではないかと案じた。

2

思春期に父親を突然失うのはショックなのは当然であり、受け入れられないのも当然ではあるが、作法通りのことをすることにより、自分は作法通りに父親を送ったと思うことにより、その死を人間は受け入れていくものだと私は思う。この子はその機会を自分で手放した。

3

火葬場に行き、火葬に至る儀式を行った。その場には彼の息子がいなかった。同年代の親戚と遊んでいたようだ。
後で聞くと、荼毘が行なわれた頃、この息子の携帯電話のストラップが切れたそうだ。お父さんの命が今無くなった、と本人は感じたそうだ。
という話を、この息子をあやしていた、親戚の女の子(20歳代後半)が私に説明してくれた。
この女の子は、幼少期から父親が不在だったので、父親不在への共感力が高く、その場に相応しいキャラだ。
女の子の叔母、私の従姉もその会話に加わった。従姉の母親は女の子の祖母であり、一族を形成している。女の子は、従兄の息子との昨夜の会話を開陳した。父親の死を認めたくないから、父親の遺体を見ないし触らないし、火葬も見送らない、と、息子は言ったそうだ。まあ、気持ち自体は判る。そのセリフをその女の子が共感的に語るのも判る。
その話の後、従姉は、父親の遺体を見せるべきではないね、と言い、女の子もそれに同意した。
ええええええ? と俺は思ったが争っても詮無いのでその場では何も言わなかった。

4

帰宅後、嫁に息子が父親の死に直面した際、その遺体を見させるべきか否かどう感じるか嫁に訊ねてみた。死を乗り越えることはできない、だからこそ遺体を見ておき、作法通り送ることが大事だ、と、嫁は答えた。

5

我が嫁と私を比べると、我が従兄の死の動揺は、我が嫁の方が大きい。我が嫁は我が従兄とはせいぜい初対面から3年程度しか経っておらず、直接会ったのもせいぜい5回くらいだ。にも関わらず嫁の方が動揺が大きい。これは性差による感情の在り方なのだろうな、とか思う。
女性は人の死を悲しみ動揺するようにできていて、男は死の悲しみはそれはそれとして、じゃあそれからどうするか、という思考をするようにできている、ように思う。
前述の女の子と従姉の「一族」は、男性不在の「一族」で、こういうのを我が地方では「女山」と呼ぶんだが、「女山」だと、あまりに悲しすぎるから遺体を見せるべきではない、という結論に傾くのだろう。しかしそれでは息子は生涯父親の死を乗り越えることができなくなる。
我が嫁の父親は「事実は事実として受け止めろ」という価値観が平均的男性よりしっかりとあり、そういう価値観の存在を我が嫁は受け入れているから、父親の遺体をしっかり見て、作法通りに送るべきである、というのが有り得べき解答となる。この解答を自然に導く我が嫁は聡明だ、と改めて思った。

6

葬儀に至る過程で、従兄の妻とその母親の様子を観察した。従兄の妻の母親、遺族の息子から見ると母方の祖母は、遺族の息子への関わりが過干渉的で、見ていて気持ちよくなかった。
その後我が嫁にそのことを言うと、遺族の妻も過干渉的に接するタイプだと我が嫁は観察していた。
遺された息子が、これから「女山」な過干渉な環境で育つのは、心配ではある。
遺された息子は、父親をたいへん慕っていたそうだ。
しかしながらどうも、この慕い方というのは、この息子の母親が過干渉タイプ、母親の母親も過干渉タイプ、亡くなった父親は全く抑圧しないタイプ、という、そういう組み合わせの結果だったように感じる。それはそれでなんかちょっとどうなんだろうか。

7

男子の育成過程には、ロールモデルが必要であり、だから中3ならこれから数年間こそが父親の出番であったのだが、その前に父親が死去してしまったのは、この息子にも父親にも不幸なことだ。
ところで、しかし俺が中3の時はこの遺族の息子よりはだいぶ精神年齢が高くて、この息子の言動は俺が小5〜小6の頃のそれだと俺は感じるんだが、精神年齢なんてものは自分で思うのと他人から思われるのには大きな差があるから、俺が中3の時も他人から見るとこの程度だったのかなあ。塾生徒を見てきた経験だと、「物心がまだついていない」タイプかもれないなあとか思うんだが。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061011/1160521802

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従兄の「一家」は、全員、「幼い」感じだ。亡くなった従兄ですら、私より5歳年長だったが、若く幼い感じのキャラだった。
従兄の嫁は、大学生の娘がいるくらいだから我が嫁よりたぶんだいぶ年上なはずだが、ああ、幼いなあ、痛々しいなあ、という感じがする。
幼い感じの「一家」が「若い」感じの父親のもとで守られていたのが、その父親がなくなったので、見ていて痛々しい。

9

遺された息子がこれから思春期的問題を乗り越えるのに、父親不在では困難だろうと思うので、彼に私の携帯電話番号を伝えておいた。彼から見て、私は一応3番目くらいに近い男の親族になる。彼は私をほとんど知らないだろうが。
ただ、彼が私に相談を持ちかけるのは、サイコロの目が3回くらい良い目に転がらないとあり得ないだろうとも思う。
とはいえ私は心配し過ぎで、あまり男男していないこの息子は、父親がいなくても「女山」にそれなりに順応してそれなりに成人できるかもしれない。私は物事を悲観的に前提する癖があるが、従兄はそのあたりが真逆だった。だから従兄は私より順調なところはずっと順調に行き、金銭的に大コケして周囲に大迷惑をかけ、我が家が苦労してその金銭損失の一部を癒し、でもって俺がフリーターしている間に従兄は堅実な会社に再就職して今に至ったから、そういう楽観で俺から見ると無責任気味な渡世の方が社会には順応してはいる。まあその呼吸するように行っていた無責任気味な処世の「文化遺産」は息子へ伝達する前に従兄は亡くなってしまったのだが、血が導けば巧い具合にそんな感じになるかもしれない。
思春期での父親の死という大試練をちゃんと乗り越えたら、この息子はひょっとしたら、ミーハーだった父親より二回りくらい大きい人間になれるかもしれない。

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