我が老母が「変人」だと気づくに至り
1
娘がPCのキーボードにジュースか何かをこぼしたらしい。キーボードが壊れた。山梨県国中地方へ行く機会があったのでそのついでに購入した。ところで現在「離れ」で使用しているPCはマウスコンピュータだが、最初についていたキーボードはUSBではなかった。今回購入したキーボードはUSBだった。繋いだ。認識しない。2時間くらい色々弄くった。手に負えない。だめだこりゃ、とあきらめたところでなぜか理由不明なまま認識しふつうにキーボードとして使用できるようになった。
2
台風の対策で、ボートを台風被害に遭わないよう色々作業した。費用対効果で考えると、ボートは作業量に見合う金を生み出していない。30年前はボートだけでけっこうな金額を生んだ。今はそうではない。
作業内容はわりと単調で、黙々と肉体労働をする。黙々と肉体労働していると脳味噌が別の活動をいつものようにする。いつものように、とは書いたものの、老齢が近づき、過去の不愉快な思い出が脳内を去来するが、脳の働きが緩やかに衰えていることも自覚する。
「我が老母は変人だ」
という、他人から見ると当然な結論が、自分の脳内に初めて結実する。
それまでも我が老母は「変な人だ」という意識はあった。我が老母を殺してしまいたいほど憎んでいる、ということを自覚できたのは30歳代が近づいた時のことだ。今は嫁と娘のお蔭で当時ほど切実な感覚はない。我が老母を、どう「変な人」であるのか他の人に説明できるようになるには、エロマンガ家としての生活の数年間が必要だった。
「変人」というカテゴリと「変な人である母親」は、本来同一カテゴリなのだが、我が脳内では同一カテゴリになってなかった。生後47年かかって、ようやくその二者が我が脳内で同一カテゴリに入った。客観的に見て当たり前すぎてくだらないことだ。だが我が脳内カテゴリの「変人」枠と我が脳内カテゴリの「老母」枠は別物だった。コンバートメント式頭脳http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%A5%B3%A5%F3%A5%D0%A1%BC%A5%C8%A5%E1%A5%F3%A5%C8%BC%B0%C6%AC%C7%BEの一つの典型例だ。もっと早く我が老母を「変人」と見なせば、ムダな苦労も多少は減ったかもしれない。
「変人」というカテゴリは「自分と生活を区分けすべき、距離を置くべき存在」だ。我が老母は我が生活のどうしようもない一部であり我が人生にべっとりくっついたものであり、現在の仕事をしている限りは仕事中もべっとりくっつき、田舎で生活する限り仕事以外でもべっとりくっつき続けるものだ。「母親」という抽象的カテゴリは生活の一部を必然的に意味し、「生活から区別すべき『変人』」という概念と自分の中で調和しなかった。ようやっと今日、我が母親を「変人」だと認識できるようになった。私の人生はこういうくだらないつまらないことでほとんどの時間が費やされる。
3
我が娘は「まま」と呼べるようになった。
4
過日、我が娘と「同級生」な子供を持つ親が、ウチで日帰りバーベキューしていった。
我が娘をあやしている俺に、娘の「同級生」の父親が、「お孫さんですか?」と訊ねた。「ええ」と答えた。
またか。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20140525/1401028353
俺は高校一年生の時、高校の同級生のカバン屋に「学校に持っていく鞄をください」と言ったら「どこの学校の先生ですか?」と訊かれたので、まあ。
とはいえ、俺は幼少期から、実年齢よりだいたい5歳くらい脳も顔も老けていたので、仮に実年齢より5歳老けていると仮定すると孫がいて全然おかしくない。脳の働きも5歳分くらいは老けてきているかもしれない。ここのところ老境の気分をしょっちゅう覚える。