「封建制」とか「連合国家」とかいう言葉
高校生の頃、世界史で「封建制」という言葉が古代中国・中世ヨーロッパ・中世日本に出てきて、その内容について特に説明がなかったので、え? つまりどういう制度なの? と疑問に思い、当時の先生に尋ねたり世界史小辞典で調べたりしたけど、いまいち判らないままだった。
塾で教えていた頃、古代日本社会が連合国家だった、みたいな記述があって、え? つまりそれは何を言いたいの? と思ったが、調べても巧い説明が見つからず、生徒へはフニャフニャした説明をしてしまった。
宮崎市定の『古代大和朝廷』を読んでいるうちに、以下のような説明をすれば良かったのかな、と思いついたのでメモしておく。
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「連合」とか「連合国家」という言葉で言いたかっただろうこと
縄文時代には戦争はなかったようだが、米の生産をする弥生時代になって一種の戦国時代に入った。米を敵国から奪えばその分豊かになるから。百余国が互いに戦争しあっていた。百余国にはそれぞれ王様がいた。ちなみに王様の称号は「ヒコ」とか「タケル」だった。ヒコたちによる戦国時代が弥生時代だ。
その末期に、戦争に強いヒコが登場して、他の国を制圧していった。これがヤマト王朝だ。
一応の日本統一を果たすのだけど、征服者のヤマト王朝と征服された王たち・国との関係は、「連合国家」の関係だった。
「連合」とはどういうことかというと、全然別な例を挙げて説明してみる。
スポーツと国家はちょっと似ているところがあるから、草野球チームを例にしてみよう。
監督がいなくて、主将が監督を兼ねているような状態が、「連合国家」だ。チームのメンバーは、大人である監督にはなかなか逆らいにくい。だが自分たちのメンバーの中の一番野球が巧いやつを主将にして主将に監督を兼ねさせているような感じだと、気に入らないことがあった時、大人の監督に逆らうよりはだいぶ逆らいやすい。主将も、同じ年齢で実力も大差ないメンバーに対しあまり強いことは言えない。あまり強いことを言おうものなら仲間の不信を買って主将の座から引きずり降ろされかねないから。主将ヤマト王朝は実力ナンバー2の出雲王朝にあまり強気に出れない。無理を強いるといつ出雲王朝が逆らってチームが分裂するか判らないから。
このくらいの力関係が「連合国家」だ。