カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

日本での「会議」でよくある光景

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150518/1431917531 
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150913/1442156528 〔← の抜粋は http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160306/1457278679 〕
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160116/1452955559 
の続き。後日もう少し丁寧に書くつもりだが、ごく短く。
1;自分への生殺与奪に関しての議論に自分が参加していても、10人中7人の人は自分が殺される話をしていることに気づかない。残り3人のうち2人は殺す話をしていることに自覚的で、残り1人は殺されないことが判っている人だ。
2;「君たち7人と君たち7人を選出した計70人以上の人を殺す話をしているんだよ」とはっきり俺が言っても、7人は「様子見」しているか、「自分と自分を選出した人が殺される」という意味が呑み込めない。
3;「この7人を殺す話をしているんだ」という暴露発言を「中和」化させるために、殺す側の2人は「その言い方はないんじゃないかな」みたいなマナーの話を延々して、7人は「様子見」するか「自分が殺される話」だとは気付かないで、マナーのことを考え始める。
4;「だから俺もお前らも殺される話をしているんだ!」と敢えて「マナー」を全無視して俺が激怒することで、残り7人は「あの変な人一人が激怒する内容なのか」ということまではやっと記憶に残る。
以上の件、7人が70人になっても殺す人が3人に増え、殺されない人が17人に増え、残り50人を殺す話が目の前で披露されても、自分が殺される話をしていると気づく人はごくごく少数で、気づいた人も「様子見」して沈黙する。
これは所与であり、だから絶望しろということではなく、これをどうにかするべきことが我々には常に課せられている。
  以下へ続く。 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160306/1457278679 
まったくもって余計な話だが、この「7人」を俺が説得するのは、我が老母を俺が説得するよりはかなり楽な作業だ。

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