カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「三鷹事件」と、「デマを吹聴するお仕事」

三鷹事件」の被害者慰霊碑にお参り。昨日の日付で画像を上げておく。http://d.hatena.ne.jp/images/diary/k/kamayan/2006-09-02.jpg
安倍晋三の祖父・岸信介岸信介の弟・佐藤栄作が黒幕である「下山事件」と同年、「三鷹事件」という奇怪な事件が発生した。その「三鷹事件」の本を読んでいたら、興味深い記述があった。以下に引用する。
1;事件直後にデマを撒く、都議会議員が経営する土建会社の若衆

そして三鷹事件発生と同時に政府とマスコミは一体となって、これまでの一連の列車妨害キャンペーンの延長線上で「これ〔三鷹事件〕は共産党の仕業である」とのキャンペーンを展開し、世論を誘導していくのである。〔略〕
煌々と車内の明かりをつけた上り電車がかなりのスピードで走ってきて〔略〕、その瞬間、駅は真っ暗になり、轟音とも地鳴りともつかぬ大音響が起ったのである。
〔略〕突然、暗闇の中から数人の若い衆が石田たちの前に現れ、「入らないように」と言いながら、店の前1メートルくらいの距離に縄を張りにかかったという。
「〔事故が起きて〕10分もたたないうちだったと思うんですよね。〔石田は〕近くの人に『どうしたんだ』と聞いたら、例によって『日共さんがやったんだ』というようなことを言っているように私は聞いた記憶なんです。私は、瞬間的にそれがわかるっていうのも不思議だとは思ったんですよね。〔略〕」(48-49p)

「〔略〕どうしたんですか。何が起ったんですか」
「〔略〕共産党が仕掛けた事故なんだ」
〔略〕若衆は吐き捨てるように言うと、暗闇の中に消えていった。
〔略〕「今の若衆は誰なんだい。この近所の人ではないね」〔略〕
〔この「若衆」とは〕「〔略〕斉由(さいよし)組〔略〕なんですよ。〔略〕
斉由(さいよし)組とは、当時、町の有力者で民自党都議会議員だった斉藤由五郎が経営する土建会社で、小中学校の建設など三鷹町の公共事業を一手に引き受けていた。
石田が目撃した斉由組の若衆については、他にも目撃者がいた。
当時三鷹電車区技工だった金沢卓は、事故直後、現場にかけつけると赤い腕章を巻いたヤクザ風の男たちが現場保存のためと称して縄を張っているのを目撃した。そして彼らが声高に、「これは共産党の仕業だ」と吹聴するのを聞いた。その男たちは地元三鷹町選出の民自党都議会議員、斉藤由五郎配下の者だったという。〔略〕(49-51p)

2;事件直後、デマを撒く日本放送連盟

当時、盛り場には必ずと言っていいほど、街頭広告放送の声が流れていた。三鷹駅前にも日本放送連盟三鷹放送所のスピーカーが設置されていた。放送所は防犯などで警察とは普段から協力関係にあった。事故〔三鷹事件〕発生直後、放送所の森英樹社主が、「当放送連盟はこのニュースに責任を持ちません」と変な前置きをしてから、「この事故〔三鷹事件〕には共産党員が関係していると見られています。あくまで町民の皆様と真相を追及しましょう」とマイクで繰り返し宣伝していたという。(52p)

3;事件直後、デマを撒く奇怪な男

「〔三鷹事件発生時、三鷹駅前で止まった電車内で〕うしろの車両の方から連結器の間のドアを開けて、われわれの車両の方へ入ってきた人間がいて、それが何か言いながらだんだん近づいてくる。ちょっと人をかき分ける感じで、何かぶつぶつ言いながら近づいてくる。何を言っているんだろうと思ったら、『あれは共産党がやったんだ、あれをやったのは共産党だぞ』と。呟きではないんですよね。一種の呼びかけ、そういうことを右に左に言いながら人をかき分けながら歩いている。〔略〕何をやったといっているんだろう、この人は、と思ったんですね。〔男は次の車両へ入っていった〕」
〔その後、この証言者は止まっている電車から降り〕15分後、初めて三鷹事件の惨状を目撃したのであった。〔略〕あの男はなぜこの事故が起きていることを知っていたのだろうか。〔略〕
「ちょっと不思議だなと思ったのは、われわれはあの電車の中では何が起ったかはわからなかった。しかし電車を降りて歩いてきて初めて(事故現場を)目撃して何が起ったかを知ったわけです。ところが誰も知り得ないはずなのに、電車の中ですでに知ってたらしい男がいる。しかも事故があった時刻からそう時間がたってないわけですから、その事故を目撃してから急いで走ってきて、われわれの止まっている電車に乗り込んで、いちいちそう言って知らせて歩いたというふうにはまったく考えられないんですね。
〔略〕これは偶然の事故ではなくて、誰かがやったんだということは考えましたね。それから、その誰かと電車の中の男は何か関係があるんじゃなかろうかと、これはわかりましたね。それからもう一つは、『あれは共産党がやったんだ』と、こういう言い方をしているからには、少なくともどうも共産党の人間ではなさそうだと、これはわかりましたね。自分でやっておいて自分がやったんだというバカはありませんからね。〔略〕」
〔この証言者は〕車中で出会った奇妙な男の特徴を次のように覚えていた。
「目の色といいますか、目の光といいますか、何かポッとカスミがかかったような、何かピントが合っていないような……。ああいうのを何ていうんですか、偏執狂とでもいうんですか、ナチのゲーリングですか、空軍元帥の。あの人の写真を見た時と非常に似た感じを受けましたね。一瞬目が合ったときは、あの頃の言い方をすれば、『大陸帰りだな』と、そういう感じでした。」(54-56p)

4;事件発生を事前に知らされていた警察

暴走電車が駅舎の東隣にあった木造の駅前交番を完全に破壊したその時、駅前交番に勤務していた四名の巡査は全員無事だった。完全に破壊された駅前交番を見た地元の人々はいちように疑問を抱いた。〔略]
この四人の巡査は、事故が起きる三〇分ほど前、「この夜三鷹駅で何か重大な事故が起きる」ということを知らされていたのである。
「これは共産党がやったんだ」と事故発生直後、駅前の事故現場で叫んでいた三鷹町署の仲谷巡査部長〔略〕はその夜八時半頃、国警都本部警備課から、「今夜三鷹電車区で重大な事故が起きる」との連絡を受け、その情報を直ちに三鷹駅前派出所と井ノ頭派出所の二ヶ所に自ら電話で連絡をしていたのである。〔略〕(74-76p)

5;事件発生を事前に知らされてなかった事件現場の人々

〔不思議なことがある。]七月一五日夜、国鉄と警察当局は三鷹で重大事故が起きることを予知し事前に警戒体制をとっていたにもかかわらず、事故が起きる現場である三鷹電車区の区長と三鷹駅の駅長には何の連絡もしていないことである。(85p)

この「デマを吹聴するお仕事」自体は現在も健在なようだ。

三鷹事件―1949年夏に何が起きたのか (新風舎文庫)

三鷹事件―1949年夏に何が起きたのか (新風舎文庫)

「デマを吹聴するお仕事」に従事する国賊どもへ憤りを覚えた同志は、 をクリックされたし。

自民党的弁論術/没論理弁論術

自民党議員は共通した弁論術を持っている。つっこまれどころを先に自分(自民党議員)がダラダラと喋り、「だから」という接続詞をムリヤリくっつけて、「**しなくてはならない」と言う。これにより、「論理的な対話をオレはするつもりはない、呑み込め」、と、言外に要求する。仮に「没論理弁論術」と呼ぶ。
この「没論理弁論術」は論理性がないからアホの塊みたいな論旨になるが、アホの塊のごとき「没論理弁論術」にいかに対抗するか、という「政治の基本」は学校では教えていないから、「おインテリ」なかたほど「没論理弁論術」にわりあい簡単に屈服する。
「没論理弁論術」への対抗には、牛のごとき粘り強さと、根性が必要である。「没論理弁論術」とはそれ自体「牛歩戦術」なのである。こちらが諦めるのを敵は待っている。だから敵以上に牛のごとく粘り強くなる必要がある。
議論とは、勝ち負けを競うものではない。議論とは情報の量それ自体を競うものでもない。
学問の専門家としての訓練を積んだ人同士でならばある程度公正な「審判」が期待できるが、とくに日本で政治に関連する場では「審判」機能が常に不全であるから、公正な勝敗の判定はそもそも期待できない。それゆえしばしば日本ではより恥知らずな方が「勝利」しがちであり、より自己に対し高い要求をする側が、つまり自身の陶冶に真剣な側が「敗北」しがちである。だがこの悪しき因習は改められなくてはならない。この因習が継続する限り、日本の知性は刻々と劣化する。
議論とは、究極のところでは、人格と人格のぶつかりあいだ。と、私は思う。議論を見た第三者にとってより知的刺激が多く、より得るところの多かった発言者が、より議論ならびに日本の知性と理性の向上に貢献する。それを信じて、牛のように粘り強く書き続けるべきである。
頭の回転の早い人間は案外腐るほどいる。それを賢さだと錯覚している人間も腐るほどいる。だが適宜牛のごとく粘り強くなることを習得できている人間は意外に貴重だ。そして日本に必要な理性と知性は、牛のごとき粘り強さのある知性であり理性である。
ヒトラーとの交戦にチャーチルが勝利したのは、ドイツに降伏することをチャーチルが牛のごとく頑迷に拒んだからだ。チャーチルが頭の回転だけ早い人物だったら、第二次大戦は、ドイツの勝利になっていた。このことから、教訓を導かなくてはならない。 一方、同時代人の近衛文麿は、最高の教養を蓄積し、当時の政治家の中で最も先を見る知力があったが、豆腐のごとき根性なしであり、日本を滅ぼした上に日本を滅ぼした責任が自分にあるということすら気づかない痴呆だった。痴呆であることと「おインテリ」であることは両立する。
我々に必要なのは、牛のごとき粘り強さと、牛のごとき根性である。
幸いにしてかどうかはわからないが、安倍晋三というバカボンは、この「没論理弁論術」すら、さして巧くない。腸の弱い人間は堪え性が乏しいものだ。

ぽちっとな