カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「従米無罪」

西村眞悟の名義貸し逮捕の件。
西村眞悟住吉会日本青年社(「救う会」構成組織の一つ)と仲良しで、この「名義貸し」にも住吉会が関わっている*1わけだが、それはそれとして、この西村眞悟逮捕は「国策逮捕」であり、「右翼が一匹やられた、ざまあみろ」などと考えるべきではないと、私は思う(いや、ざまあみろと思うのはいいのだけど、そこで思考停止してはダメだ)。西村眞悟が「国策逮捕」されたのは、西村眞悟が「国粋右翼」路線で、「従米右翼」の色が薄かったから、ということがあると思う。
日本では「愛国無罪」なのではなく、「従米無罪」なのだ。「だからアメリカのケツを舐めるべきだ」、と思っている連中は死ね。
ちょうど、1940年代、左翼勢力・リベラル勢力が潰された後、リベラル思想家を弾劾糾弾していた蓑田胸喜ら民間右翼が不要になり、官憲により潰される、という「狡兎(こうと)死して走狗烹(に)らる」が再演されているのだと思う。

竹内洋丸山真男の時代』(中央公論社、2005年)*2 から

蓑田や原理日本社の論理と運動が、国体学者東京帝大文学部教授平泉澄から無視されたのは、思想上の違いというよりも、蓑田と原理日本社が知識人圏から排除された存在になっていたからである。〔87P〕
知識人圏や大学が、日本主義や国体論の体裁をととのえると、排除する存在だった蓑田たちは、排除する対象を失い、排除されるだけの存在になっていく。蓑田一派はうとましい存在になる。蓑田は大政翼賛会からもはずされる。〔102P〕
〔太平洋戦争前に東京帝大への軍部・右翼からの攻撃弾圧は下り坂になる〕下り坂の理由は、大学を含めて世の中が蓑田化し原理日本化しただけのことなのである。社会が、そして帝国大学が蓑田化(汎原理主義化)することによる落差の消滅から、蓑田や原理日本社が用済みになったからである。まさに「狡兎(こうと)死して走狗烹(に)らる」(兎が死ねば猟犬が不要になり煮て食われる)である。
丸山は「戦前における日本の右翼活動」論文の中で「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んでくるのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士高官たちであった」と書いている〔略〕。〔103-104P〕
さらに蓑田を最終的に打ちのめすような事件がおきた。蓑田たちの原理日本社と連携して運動していた民間団体、精神科学研究所(一九四一年二月創立)は、打倒東条英機を叫んでいたため「最も知能的なマルキスト」として、当局から目をつけられていたが、一九四三年二月一四日、憲兵隊によって一斉に検挙される。〔104-105P〕

「歴史は繰り返す、二度目は茶番として」と言われるけど、どこまでこの茶番が続くんだろう。どうも我々は1930年代の人々より愚かなようだ。初回のときは前例がなかったから同情に値するが、二回目は前例があるのに、なぜ同じ轍を踏んでいるのだろうなあ。同じ轍を踏んでいるのは西村眞悟ではなく、我々皆である。「日本人は歴史から何一つ学ばない」というのはカマヤンの自家製箴言なのだが、本当に日本人は歴史から何一つ学ばないバカ揃いなのだろうか。そうじゃないと信じたいのだが。

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*1:WEBの記事では「住吉会」「日本青年社」の名前が出ていないっぽいが、紙媒体の新聞には「住吉会」「日本青年社」の名称が出ている。

*2: