カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「偉くなろうと思うな」と老母は我が娘に言った

1

嫁と娘が、我が家に来た。老母は有頂天。
有頂天なので、早速老母は、「偉くなろうと思うな、偉くなるとウチに戻らなくなる」と我が娘に呪いをかけた。
私はこの呪いに生涯苦しめられたので、娘に「どれだけ偉くなっても構わない」とことあるごとに呪をかけている。
「偉い」というのは「社会的地位が高い」「知的職業に従事する」くらいの意味だ。

2

私が初めて娘に「どれだけ偉くなっても構わない」と言った時、嫁は笑った。「偉くなれ、じゃないんだ?」と嫁は言った。
我が老母は教育について一貫して一貫性がなかったが、「偉くなろうと思うな」とは、ことあるごとに言った。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090717/1247771033 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100405/1270398358 それは教育そのものへの否定だが、老母は深くものを思考できる人ではないので、自分が何を言っているのか昔から理解していないし今も理解していない。
私と妹1号は貧弱な教育環境の中でそれなりに学歴をつけることができた程度に学校的価値観と親和性が高く、妹1号はおよそ考え得る限り最も安い学費で地方上級公務員という社会地位的給与的にかなり高い職を得たのだが、我が老母は社会の仕組みを知ろうともしないので妹1号がどれだけ努力して効率よく社会的地位を上昇させたのか全く意に介さない。そのため妹1号の努力は最も認めてもらいたい人からは生涯認められない。我が老母は自分が認めていないことすら気づいていない。
妹1号は医者になりたかった、と、ごく最近になって老母から聞いた。その能力はたぶんあった。我が老母は子供の才を伸長させることには毛ほどの関心もなく、子供の才を潰すことには変な情熱があった。妹が医者になりたがったが、そうはさせなかった、という話をして、老母は我が娘に声をかけた。「偉くなろうと思うな」

3

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120531/1338475109 のリンク先、すでに削除されてしまったはてな店長nakamurabasiさんのブログには、「お前は走る必要がない」というフレーズがあった。
走ることに才のある者へ「走るな」という教育は、残酷だ。
我が老母は、走る才のある子へ、ひたすら「走るな」と教育した。「それを真に受けたんだ」と我が嫁は笑った。正常な環境下だとそれは笑いの対象となる。我が環境は、我が老母に関する限り、正常ではなかった。「この家から逃げることのできない子」を作ろうというのが我が老母の教育方針だ。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120216/1329403379
我が娘にはその異常環境を再現させてはならない。娘の育つこの場所は、うかうかしていると、とてつもなく閉鎖的な環境になる。比較すべき正常な環境を知らない限り、ここは窒息させる空間となる。知っていてですら窒息する。
親が親たるのは、子供の足を引っ張らないことだと私は思う。私が子にとって桎梏とならないことを願う。
娘よ、お前にもしその能力があるのなら、お前はどれだけ偉くなろうとしても、偉くなっても構わない。俺はそれに関して、適う限りの助力をする。偉くならなくてももちろん構わない。俺はお前に人生モデルをたいして提示はできないが、考え得る限りの人生モデルを提示するよう努力する。俺はお前の足を引っ張らないよう、全力を尽くす。老母による呪いから、お前を全力で守る。

感じるところのある同志は  ブログランキング・にほんブログ村へ   をクリックされたし