宮崎勤事件での報道操作
『★J憲法&少年A★』「“宮崎勤”とは何者なのか?」http://pdo.cocolog-nifty.com/happy/2005/10/post_a140.html 経由。
「宮崎勤事件―――破綻した〝謀略のシナリオ〟 連続幼女誘拐殺人事件の深き〝闇〟」
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html
をリンクしておく。
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html
権力によるシナリオの存在が見え隠れしているような事件には、〔略〕共通の特徴がある。いくつもの謎が平然と放置されていることだ。〔略〕埼玉県の宮沢湖霊園で見つかった綾子ちゃんの遺体には首がなく、のちに宮崎の自供どおり東京多摩地方の御嶽山で頭部が見つかる。だがそれは脳硬膜もない空っぽの頭蓋骨だった。死後2ヶ月で完全無欠な白骨になるのはおかしいという疑問が出たが、これは宮崎が自宅の印刷工場にある流し台で髪の毛をむしり取り、きれいに洗ったためという理由付けがなされた。だが流し台から髪の毛は発見されず、頭蓋骨には洗ったときの傷もなかった。
供述によれば、宮崎は綾子ちゃんを殺してから遺体を自室に隠していた。ビデオ撮影をして弄んでいたが、2日後に腐敗臭が強くなったのでノコギリで解体したという。だが宮崎の部屋は他の部屋とカ―テンやベニヤ板で簡単に仕切られているだけである。にもかかわらず家族は誰も宮崎の行為に気付いていない。隣の部屋にいた妹は腐敗臭などしなかったと言っている。〔略〕しかも部屋から押収されたノコギリからは血液反応が出なかった。宮崎は遺体の解体に使ったノコギリを河川敷に捨てたと供述したが、どこを探しても見つからない。ついに凶器は特定されなかったのである。
〔略〕今田勇子が書いた告白文の設定は、伊丹十三製作総指揮のホラ―映画『スウィ―トホ―ム』に似ているという指摘がある。〔略〕一橋文哉の『宮崎勤事件――塗り潰されたシナリオ――』(新潮社)によると、宮崎のビデオコレクションの中に、なるほど『スウィ−トホ―ム』があったという。〔略〕一橋はこの話を警察官僚のAという人物から聞いたという。Aによれば、宮崎はこんな供述をした。
「手紙(告白文)を出すに当たって〔略〕部屋の中に伊丹十三監督が製作した『スウィ−トホーム』というホラ―映画があったんだ。それを土台にして〔略〕スト―リ―を創作したんだ」
〔略〕警察は〔略〕確認するべき点があったはずである。『スウィ―トホ―ム』が劇場公開されたのはいつだったか。1989年1月21日である。今田勇子の告白文が送られたのはいつだったか。同年3月11日である。そして『スウィ―トホ―ム』のビデオが発売されたのはいつだったか。同年8月11日である。映画がテレビ放映されたのは翌年の1月2日だった。
今田勇子の告白文が書かれた時点では、まだ『スウィ―トホ―ム』のビデオは発売されていなかった。テレビでもまだ放映されていなかった。〔略〕したがって宮崎勤の部屋に『スウィ―トホ―ム』のビデオがあったはずがない。なのにあった事を前提にしている警察官僚Aの証言は信用できない〔略〕。
宮崎勤が逮捕されたのは、1989年7月23日である。綾子ちゃん殺害を上申書の形で自供したのが同年8月9日だった。それを受けて報道陣が宮崎宅に押し寄せたのが8月10日。『スウィ―トホ―ム』のビデオが発売されたのはその翌日である。
家宅捜索は8月10日の夜に行なわれた。その時に押収されたのはノコギリとヤスリだけである。部屋に積まれたビデオが押収されたのは8月15日であり、スポ―ツ新聞に『スウィ―トホ―ム』にまつわる記事が載ったのも同じ日だった。警察はビデオ押収のタイミングに合わせて『スウィ―トホ―ム』関連の情報をリ―クしたのだろう。しかし身柄を拘束されていた宮崎が8月11日発売のビデオを入手できたはずがない。にもかかわらず、もし家宅捜索でそのビデオが押収されたなら、誰かが事前に部屋に入ってブツを仕込んだことになる。それができたのは誰だったか。
〔略〕宮崎勤事件の発端、つまり埼玉県入間市で真理ちゃんが行方不明になったのは、朝日新聞がリクル―ト疑惑をスク―プしてから2ヶ月後のことだった。政界の有力者への未公開株譲渡も発覚し、世間が騒然となっていた。今田勇子の犯行声明が送られた時期には、リクル―ト社前会長やNTT前会長などの大物逮捕が相次いだ。4月に消費税導入と竹下内閣の退陣があり、6月に誕生した宇野内閣が女性スキャンダルに見舞われたのと同じ時期に綾子ちゃん事件が起きている。7月の参議院選挙で自民党は惨敗し、同じ日に宮崎勤が逮捕された。そして宮崎が綾子ちゃん殺しを自供した日に海部内閣が発足・・・・・・・・。
政界のドタバタや消費税の不満などは、史上稀に見る猟奇殺人事件報道の嵐の中に埋没していった。この一連の流れを 事件後の早い時期に〝意図的〟であり〝フィクション〟であると喝破したのは映像作家の手塚真である。<考えられるべき一番大きなフィクションというのは、宮崎勤という犯人と、その環境の全てがフィクションだという考え方がありえるように思えます。何者かが、ある策略によって、あの時期に事件を作らなくてはいけなくて、犯人に何らかの時代の理由付けが必要となり、若者のデ―タをいろいろと掻き集めて、「宮崎勤」という性格の犯人像を作りだしたというものです(中略)どういうカラクリかわからないけれども、何か政治的カラクリがある。例えば、あるものから目をそらせるために、ひとつのものに熱中させるというのは、手品の初歩的なテクニックです>(『Mの世代 僕らとミヤザキ君』太田出版より抜粋)
その言葉のニュアンスには揶揄的な要素が多分にあったと思うが、あらためて当時をふりかえってみると、宮崎勤事件とリクル―ト事件はあきれるほどパラレルに進行していた。そして綾子ちゃん事件から宮崎再逮捕に至る日程は思わず天を仰ぐほど政局と一致していた。一見何の関係もない事柄が、どこかでつながっていたとしたら・・・・・・?〔略〕
伊丹十三といえば、伊丹十三を襲撃したのは山口組系後藤組だし、伊丹十三が「マルサの女2」でモデルにした宗教団体は山口組系後藤組と関係深いあそこだそうし、そうなると公安警察含めオウム事件での暗躍が噂されている連中が、宮崎勤事件報道時点から暗躍していたと考えられるね。伊丹十三も殺されたんだろうけど、報道は「謎の自殺」で押し切られたしなあ。
ところで、「佐世保事件」「赤坂小学生監禁事件」「長崎事件」「奈良女児誘拐殺人事件」などにも公安などによる情報操作・報道統制がかなり露骨に行なわれたように感じるけど、宮崎勤事件・酒鬼薔薇事件・てるくはのる事件・オウム事件などに比べ、「シナリオ」が稚拙になっているように感じる。公安内の敏腕のシナリオライターが失脚したのかな? 違うかな。宮崎勤事件であまりに巧く情報操作に成功したから公安がバカの一つ覚えで繰り返し濫用していて、その情報を受けるこちら側がWEBという情報蓄積手段・ブレーンストーミング装置を得たことによって、「毎回同じ情報操作が行なわれている」ことにこっちが気づきやすくなったのかな。上記引用記事の中で問われている疑問箇所は、「佐世保事件」「赤坂小学生監禁事件」「奈良女児誘拐殺人事件」などでも全く同様の疑問がWEBで提示され、警察報道並びにワイドショーはそれに対し完全沈黙しやがった、という、とてもよく似た構図がある。
「のまネコ」と暴力団天下り警察官僚
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/10/post_69a1.html
本誌〔ストレイ・ドッグ〕は10月24日、「エイベックスへの街宣右翼、手打ちで逮捕説お流れ。背後に元警視総監関与か?」なる記事を報じている。http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/10/1.htmlこの右翼が動いたのはエイベックスの株主総会以降のことで、今回逮捕された総会屋とはまったく別の者だ。
「あれだけ多くの闇社会の関係者が、エイベックスを攻撃しながら、警察が何も動かないので世間に対し示しがつかない。かといって、本丸をあげて癒着した〔警察〕OBなどのことをゲロされるとマズい。そこで、今回の逮捕に至ったのでないか」(事情通)
関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051021#1129894648
警察官僚が暴力団や総会屋と癒着していて、暴力団が警察官僚の天下り先なら、どんな謀略がなされていても不思議じゃないと私は思う。イトマン事件報道なんかわざと判りにくく報道していたし。
ティム・バートン
ティム・バートンの『コープス ブライド』と
『チャーリーとチョコレート工場』を観てきました。
『コープス ブライド』のほうは、「フランケンシュタインの花嫁」へのティムの愛情に溢れ(フランケンウィーリーなネタも登場)、切ない佳品。
『チャーリーとチョコレート工場』のほうは、『ビッグ・フィッシュ』でも見せた、父親(家庭)への屈折し矛盾した感情が、再度語られている。(原作絵本にはない、ティムが追加したエピソード)
一日に二本もティム・バートン作品を観ることができて、幸せだ。