ゾーニング、フィルタリングは、情報の創発性を奪う
http://d.hatena.ne.jp/dokusha/20050405#p2
〔略〕その気になれば版組みを個々人の嗜好に合わせることも可能なんじゃないんだろうか。最初は荒っぽい組み分けでもだんだんと精度が上がっていくんだろう。
その内に自分の好きな情報については必ず目を通せるようになる。あるヒトにとっては「練炭自殺」と「デブアイドル」情報は必須なんだから、それは必ず漏れないように提示される。〔略〕
しかし、こういった自分に都合の良い情報だけ、面白い情報だけを提供されて果たして大丈夫なのだろうか。
例えば現在問題になっている「竹島問題」でも「竹島は日本の領土だ!韓国はけしからん!!!ぬぬぬぬ」と言うヒトにはこれらhttp://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#doktoの情報は耳に(目に?)入らないのじゃないだろうか。
特に「内務省「竹島外一島」伺い書」http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.572についてはエキサイティングだ。(と、言ってもわたしがこの言説をこのまま支持すると表明したわけではない。わたしは裏を取っていない:暇が無い!)
上でも書いたようにわたしは「野田秀樹」について情報を求めたくてあちこちを見ていた。そしたらタマタマ「epic2014」http://blog.digi-squad.com/archives/000726.htmlについての情報が目に飛び込んできた。
情報の持つこういった創発性というのか、ゆらぎって大切な気がするんですよね。
予想しなかった情報に接することで、偏見は壊されていく。知は力なり、無知は無力なり。
ならば、「規制派」の後ろの勢力が何を望むかを思考実験してみよう。大衆を無力にしておくためには、大衆へは「ムダな役に立たない情報の洪水」だけを与え、大衆に智恵を与えるような情報は大衆から奪うべきである。ゾーニング、フィルタリング言説は、大衆を無力にしておくために最大限活用すべきである。
大衆たる私たちはゾーニング論など全て蹴散らすべきである。