カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

冷戦後の、外務省の三大グループ

色んなブログで話題になっている『国家の罠』より。

 ここで、外務省の基本的な外交スタンスとその組織の実態についても言及しておくことにする。
 一般に日本外交は対米追従で、外務省には親米派しかいないという論評がなされている。この論評は、半分はずれていて、半分あたっている。日本外交は常にアメリカに追従しているわけではない。捕鯨問題、軍縮問題、地球温暖化問題など重要問題で日本がアメリカの方針に従わないことも多い。しかし、私〔佐藤優〕を含め、外務省員は全員親米派である。
 ただし、親米の中味については、日本はアメリカと価値観を共有するので常に共に進むべきであるという「イデオロギー的な親米主義」と、アングロサクソン英米)は戦争に強いので、強い者とは喧嘩してはならないという「現実主義」では、「親米」という結論は同じだとしても、その論理構成は大きく異なる。ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成はその結論と同じくらい重要性をもつということだ。
 〔略〕一九九一年十二月にソ連が崩壊し、新生ロシアは自由、民主主義、市場経済という西側と価値観を共有する国家に転換したので、反共イデオロギーに基づく親米路線はその存立基盤を失った。
 〔略〕外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されてくる。〔略〕
 第一の潮流は、冷戦がアメリカの勝利により終結したことにより、今後、長期にわたってアメリカの一人勝ちの時代が続くので、日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方である。
 具体的には、沖縄の米軍基地移転問題をうまく解決し、日本が集団的自衛権を行使することを明言し、アメリカの軍事行動に直接参加できる筋道をきちんと組み立てれば、日本の安全と繁栄は今後長期にわたって保証されるという考え方である。この考え方に立つと日本は中国やロシアと余計な外交ゲームをすべきではないということになる。これを狭義の意味での「親米主義」と名づけておく。
 第二の潮流は、「アジア主義」である。冷戦終結後、国際政治において深刻なイデオロギー上での対立がなくなり、アメリカを中心とする自由民主主義陣営が勝利したことにより、かえって日米欧各国のエゴイズムが剥き出しになる。世界は不安定になるので、日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方である。一九七〇年代後半には、中国語を専門とする外交官を中心に外務省内部でこの考え方の核ができあがり、冷戦終結後、影響力を拡大した。
 第三の潮流は「地政学論」である。「地政学主義」とせず「地政学論」としたのは、この考えに立つ人々は、特定のイデオロギー(イズム=主義)に立つ外交を否定する傾向が強いからである。その基本的な主張は次のようなものだった。
 東西冷戦期には、共産主義で西側陣営が結束することが個別国家の利益に適っていたので、「イデオロギー外交」と「現実主義外交」の間に大きな開きはなかったが、共産主義というイデオロギーがなくなった以上、対抗イデオロギーである反共主義も有効性を喪失したと考える。その場合、日本がアジア・太平洋地域に位置するという地政学的意味が重要となる。つまり、日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったのであり、この中で、最も距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方である。
 この「地政学論」の担い手となったのは、冷戦時代、「日米軍事同盟を揺るぎなき核としての反ソ・反共政策を貫くべきだ」という「対ソ強硬論」を主張したロシア語を専門とする外交官の一部だった。さらに、彼らは日本にとっての将来的脅威は、政治・経済・軍事面で影響力を急速に拡大しつつある中国で、今の段階で中国を抑え込む「ゲームのルール」を日米露三国で巧みに作っておく必要があると考えたのである。「地政学論者」の数は少なかったが、橋本竜太郎、小渕恵三森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。
  〔佐藤優国家の罠*1新潮社、2005年、54-58p。〕

*1:

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

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