カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「政治学」「イデオロギー」の「知識」メモ

萩原能久HPの「政治学」講義録がおもしろいので、メモっておきます。

http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/ps-04.html
http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/critique.html
 このように考えてみれば、科学とイデオロギーは紙一重である。その意味で、「科学」と「イデオロギー」をきれいさっぱりと峻別できると考え、「科学」の立場からイデオロギー的言説の論理的分析を行うことによってイデオロギーを克服しようとする試みこそ、自分の立脚点だけは価値中立的で無イデオロギー的でありうるとの幻想のとりこになっているだけに、たちの悪いイデオロギーに転化する危険がある。人は自分の影を飛び越せないのである。

「人は自分の影を飛び越せない」って、いいフレーズだなあ。

http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/lawsemi7.html
さらにはこれらの国家の本質規定が、国家の起源の問題から国家の機能や構造の問題をストレートに導き出すという問題のある論法を使う(5)という点で共通している点も見逃せない。
(5) こうした論法は「発生論の誤謬」(genetic fallacy)と呼ばれる。例えばサンドウィッチはカードゲームを中断することなく食事ができるよう考案されたのがその起源であるから、味よりもなによりも、ゲームに集中できるよう材料を組み合わせるのが正しいサンドウィッチのあり方であるとする類の論法がその典型である。

「発生論の誤謬」って概念があるのか。応用利きそうだから、調べておこう。
宮台先生による憲法論のゼミ参加させてもらっていた時、納得がいかなかったことの一つは、「発生論の誤謬」に宮台先生が嵌まっているように見えたからなんだな。