女帝とか皇嗣断絶とか。
倭王すなわち天皇家は、中華王朝に朝貢し中華王朝から官位をもらうことで、日本での支配権を正統化した。
雄略天皇(21代)は南朝宋から「鎮東大将軍」の称号を受ける。
武烈天皇(25代)は南朝梁から「征東将軍」に任命されている。
武烈天皇には子供がなく、継嗣が絶えたと「日本書紀」にある。
応神天皇(15代)は実在が怪しい伝説上の人物だが、この応神天皇の5世の孫が武烈天皇を継いで26代継体天皇となる。他の国だったらここから新王朝扱いかな。
33代推古天皇は有名な聖徳太子のおばであり、女帝の代表である。
41代持統天皇は38代天智天皇の娘であり、女帝である。
43代元明天皇は持統天皇の娘であり、42代文武天皇の母親であり、女帝である。42代文武天皇の死後、天皇に即位した。
元明天皇は娘(42代文武天皇の姉)に皇位を譲った。これが元正天皇である。女帝である。元正天皇のときに『古事記』『日本書紀』が作られた。
46代孝謙天皇・48代称徳天皇は同じ人物であり、女帝である。
出典;ねずまさし『天皇家の歴史』上巻(三一書房、1976年)