カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

治安維持法

アッテンボロー」から。

 http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2005/07/post_a710.html
日本近現代史のおさらいその3
 41年には治安維持法を全面改悪して「再犯のおそれ」だけで予防拘禁出来る様に改めた。敗戦後も天皇制を護持するために一層の強化が厳命された。弾圧は45年10月のGHQKの治安維持法廃止指令により三千人の政治犯が釈放されるまで続く。治安維持法によって検挙されたもの約67000人、起訴されたもの六千余名。「わが国は民主主義・反戦平和勢力を異端者として排除した結果、自らの政策の行き過ぎや間違いを事前にチェックする制度的保障を失ってしまった。悲惨な戦争への道を歩んで行く、後戻り出来ない重大な通過点の一つが一九二五年の治安維持法成立であった。
「あたらしい教科書をつくる会」の歴史教科書では、治安維持法については殆ど触れようとしていない。その事を通してあたかも当時の国民の多くが自発的に侵略戦争に協力して行ったかの様な錯覚を植えつけようとしているが、実際には多くの日本人の血の海の上に戦争体制が作られて行った事を忘れてはならないと思う。朝鮮や台湾で「皇国臣民」として地位の向上や自己実現をはかる人々がいたのと同様、日本人のなかでも自由主義や民主主義が弾圧された結果、国家意思に従順な人々が作られて行ったのだ。