カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「表現の自由」という言葉

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私は「表現の自由」を主張の主軸としたことは今までなく、そもそも「表現の自由」という言葉自体を自分で使うことがほとんどない。…はずだ、と思ったので、ちょっと自分のブログを「表現の自由」で検索してみた。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive 現時点で、このブログで、引用以外で自分が「表現の自由」という言葉を使っていたのは http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100103#1262464471 だけだと思う。
かつて色々ロビーをしたこともあるが、ロビーの時も自分で「表現の自由」という言葉を使ったことは一度もない。
以上、書き留めておく。
別に他の人に「使うな」と主張しているわけではない。私は使わない、使ったことがない、ということの確認。

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でも「情報統制」とか「言論統制」って言葉は私はよく使うな。情報社会とか言われていて私が受験生だったころは情報化社会論がわんわん唸りをあげていた時期だったけど、私自身は情報の涸れ果てた僻地で育ったので、情報統制の被害を色んな側面で被ってそれを恨みに思っているからだろうな。
情報は日本においては全く開かれていない。少し目の開いている人はそれに早い段階で絶望しがちだ。しかしながら情報を統制する人々は、庶民が絶望することを望んでいる。よって我々は牛のごとく粘り強くあるべきであり、絶望する暇は実際にはない。
たとえば、すげえインテリな人でも、都議会での条例の審議時間が2日程度しかない、という「情報」を知らないでしょ。我々は故意に無知にさせられているか、さもなきゃ日本人の9割9分が痴呆同然の馬鹿であるかのどちらかである。
小学校や中学受験の社会科では「地方政治は民主主義の学校である」と教えている。実際のところ、我々は「民主主義の学校」について何も知らず、そして「民主主義の学校」とは実際に経験した小中学校と同じく嘘と建前だけしか存在しないという誤った結論にたどり着きがちだ。

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国賊的司法により、民主政治への物凄い萎縮効果が京都知事選に現れている。http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100324000018&genre=A2&area=K00
国賊的司法と国賊的警察が狙っているのは初めからこういう萎縮効果なのかもしれないが。

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