『「東北」再生』
『「東北」再生』から以下抜粋する。この鼎談は、2011年5月1日に行なわれた。
赤坂憲雄
〔震災と原発事故の直後〕最初に僕のなかに浮かんだのは「なんだ、東北って植民地だったのか、まだ植民地だったんだ」ということです。かつて東北は、東京にコメと兵隊と女郎をさしだしてきました。そしていまは、東京に食料と部品と電力を貢物としてさしだし、迷惑施設を補助金とひきかえに引き受けている。そういう土地だったのだと。(15p)
山内明美
福島には、かつて常磐炭坑がありました。茨城県日立市、そして福島県いわきから富岡の「浜通り」にかけては、かつて炭坑労働者の町でもありました。常磐炭坑は一九七〇年代半ばに閉山しましたが、その炭坑労働を引き継ぐかたちで、原発の立地町である「原子力ムラ」ができました。(13-14p)
私〔小熊英二〕はこの点は評価したいんですけれども、三月十五日に二度目の水素爆発があったあと、東京電力が作業員を全員撤退させて、あとは自衛隊と米軍にまかせるという方針を取りかけたとき――東電の側は全員撤退させるつもりではなかったと言っているそうですが――、菅直人首相が東電に怒鳴りこんで撤退をやめさせた。その直後に、首相は「福島原発が最悪の事態になったら東日本がつぶれることも想定しなければならない。東電はそういう危機感がたいへん薄い」と言ったそうです。放射線を浴びながら作業しなければならない作業員の人権はどうなるのかという問題はありますが、もしあそこで撤退していたら放射性物質大放出状態になり、本当に東日本がつぶれていたのかもしれない。一部のメディアからは、首相たるものはむやみに現場に口を挟むべきではないとか、怒鳴り散らしたのはみっともないとか言われていますが、私はこの場面についていえば菅首相は結果として正しい措置を取ったと思います。(36p)
飲料水に関しても、いつまでも原発の排水より高い値〔が基準値で〕いいのかということに関しては、いずれ議論になるはずです。(42p)
当初は、すぐは〔経済は〕落ち込むけれども復興需要が必ずあるから伸びるだろうというのが経済雑誌に多い読みでした。〔略〕
しかしその後の流れを見ていると、本当に復興需要がそんなにあるのだろうか。復興需要というのは公共投資もあるけれども、地元に需要がないと起きない。ですから、地元に需要がないほどに疲弊していたら、復興需要というのは本当に起きるのだろうかという疑問がわく。被災地の過疎化が進んで人が出ていくばかりだったら、公共投資で仮設住宅をつくるまでは復興需要があるだろうけれども、そのあとにつながらないのではないか。(60-61p)
日本政府は重い課題を背負っています。日本の歴史上、初めて国内で「難民」というものが発生したのですから。(63p)
山内明美
先ほど、私は福島県の常磐炭坑の話をしましたが、福島にはその観光開発の先駆けとも呼べる「リゾート」が一九六〇年代半ばにできました。いわき市の「常磐ハワイアンセンター」(現在の「スパリゾートハワイアンズ」)です。
石炭から石油へエネルギー転換する時期に、常磐炭坑の町では、町の危機を乗り越えるために地元にテーマパークとしての「ハワイ」を作ったのです。その様子は二〇〇六年に映画『フラガール』として公開されました。〔略〕
福島の炭坑の町にハワイをつくるなんて笑い事だと、誰もが思うでしょう。けれども、私はあの映画を見て、涙を流しました。福島にハワイをつくることは、炭坑の町の後の生き残りをかけた必死の賭けでした。赤坂さんから自然エネルギー特区構想の話がありましたが、そのような意味でこの映画は、いま原発事故が起きている場所をめぐっての大切な物語だとも思うのです。(64-65p)
東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は意外と知られていない。〔略〕
とくに総力戦体制下の一九四二年に、食料の安定配給のために制定された食糧管理制度の影響は大きかった。〔略〕
秋田、山形、青森の三県が収穫量で全国の一位から三位を占め、岩手、福島、宮城も十位入りするまでにいたるのは、一九九〇年である。〔略〕
東北のコメ作りの歴史は、国策と東京の需要に応えようとし、応えたとたんに重要低下と減反がはじまる、という経緯をたどっている。(126-127p)
日本も導入したアメリカ型の軽水炉は原子力潜水艦のエンジンの転用であり、ソ連型の黒鉛炉は核兵器製造用のプルトニウム生産炉の転用である。(131p)
一九六九年の外務省文書は、「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」とうたっている。沖縄返還交渉の副産物だった非核三原則の国際決議にあたっても、佐藤〔栄作〕は「核エネルギーの平和利用促進」と抱き合わせでなければ応じなかった。(132p)
〔東日本大震災の〕復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。
だが今回は、二〇三〇年までに人口三割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。(136p)
- 作者: 赤坂憲雄,山内明美,小熊英二
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