カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

オルタナ板について書かんでもいいこと

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120103/1325578642の続き
オルタナ板のトップに
■この板は左派の避難場所としての性格を持ちます。その性格に賛同いただいたうえでご利用ください。■
と、新たに書き加えた。
ところで私自身は左派だろうとは思うんだが、ガチ左翼じゃあ全然ないんで(枝野幸男支持者だしね)、オルタナ板常連諸姉諸兄から見るとたぶん私は左派としては緩すぎる。
宗教右翼とか安倍晋三の後ろにいる連中に対しては私は憎悪が激しいが、ものを知らないだけでうっかりネトウヨってしまった人へは私はわりと愛情深いと自分では思っている。
世の中は左翼と右翼に分かれるわけじゃあ全然ないんだが、小泉政権前夜頃の右派による草の根宣伝の熱心さに比べると、左派の宣伝戦の不熱心さには猛烈に憤りを覚えたりしていた。
オルタナ板は左派の避難所として生まれたんだろうなあ、というのは(ぼんやりとだけど)知っているし、小泉政権前夜頃の右派の宣伝戦に対して避難所的なものは必要だったという歴史的意義を認めるが、安倍政権頃からは避難所に引きこもっている場合じゃないだろと憤ることのほうが増えたり。
私自身が最もかかわっていた政治運動としての表現規制反対活動のほうは、私が左派のロジックを判っていたから左派議員へのロビーを優先したが、協力してもらっている議員は右側にも幸いにしてずいぶん伸びたし、右左の信条心情でどうこうできる政治課題は、短期的具体的にはほとんどないだろうなあ、とか思う。そもそも日本は信条で物事が進む国ではない。とも思う。ついでに言うとオルタナ板住人は表現規制反対活動にわりと冷淡だなあ、と感じたことが多い。
ものを知らないでネトウヨってしまった人に感銘を与えて染め変えるくらいの力量がないと左派に未来はあまりないだろうなあ、とか思っていた時期もあったり。
とか夢見ていた時期もありましたが、管理人のくせに長く不在していたお詫びも兼ねて、冒頭の通りのアナウンスを付け加えました。
「避難場所」という言葉は、あまり褒め言葉ではないし、利用者にとっても名誉なことではないとも思うのですが。各人の個人史的にはそういう時期が必要な時もございますし。とはいえ板に何を求めているかは各人各様でありまして。
などということをここに書くのは、共同管理人が登場してくださったからでして。
左翼内だけで固まろうとしすぎると自家中毒的になる気がしてなあ、http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050215/1108492404 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050220/1108845716とか、悪い例は色々あるし。という感覚もまた理想を追いすぎているわな。
そんな感覚の私が左派の避難所の管理人をしているのも歴史の皮肉のように思ったり。板が先にあって、私が管理人を引き継いだのは板の方向性が確定した後だったので、だから今でも続いているのではあります。私が初めから管理人だったらとっくに人がいなくなって板がなくなっている。何を言っているのかというと、板が求める理想と私の理想というか資質との間には落差がある。ということでして。
 関連するかどうか判らんけど→ http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050215/1108493079 http://star.ap.teacup.com/katumori/169.html

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