第二回世界メディア芸術コンベンションと小熊英二
小熊英二先生が文化庁第二回世界メディア芸術コンベンション「想像力の共有地(commons)」http://www.simul-conf.com/icomag2012/index.htmlで講演されるというので、行ってきました。
最初、隣の国立新美術館と会場を間違えて、ついでなので『まどか☆マギカ』展も見てきました。展示は撮影禁止でした。
コンベンションは政策研究大学院で行われた。入場者は200人くらいかなあ。落ち着いていてよい感じでした。
以下、ごく粗いメモ。発言者の言葉そのままでは全然ない。
1 マンガとアニメーションの越境性・戦後日本社会の検証
小熊英二講演メモ
戦後日本で、なぜ質の高いマンガ・アニメが作られたか。
1950-60年代の日本の経済指数は発展途上国並みだった。しかし識字率は高かった。読書と映画が最大の娯楽だった。
日本は国内市場は大きい。国内市場が小さいと初めから世界市場を考えなくてはならなくなる。たとえば香港の国内市場は小さい。日本は国内市場を相手にすることができた。
他国と比較すると、インドネシアは言語が統一されていない。そのため一つの言語の市場が小さくなる。インドは英語の市場と他言語(ヒンディー語など)の市場が分断されている。
1950-60年代当時、輸入品は高かった。国産品は安かった。その結果、競合する海外作品からは市場が守られていた。そのため国産のマンガ・アニメが成立し発展した。
松本零二はディズニーに憧れていた。漫画家になったのは、当時、紙とペンが安かったからだ、と松本零二は述べている。当時、渡航費は高かった。今だったら渡米しディズニーに入社し、国内マンガ産業が育たなかった。
出版産業は盛んだった。1970年代の雑誌(文芸誌など)は数十万部売れていた。現在は数千部だ。
戦後すぐまで、原稿料は高かった。本が高かった。「円本」というのが「安い本」として売れたが、現在の物価に換算すると、文庫本で2000円相当くらいになる。ハードカバーだと2万円くらい。家にピアノがあり、百科事典があり、文学全集があり、こういうのがある時期までステータスシンボルだった。当時のマンガは文学志向が高かった。
戦後、本は安くなったが、部数が増えた。
他国と比較すると、インドの小説は500部ほどしかマーケットが存在しない。インドはインテリは英語を読み書きし、大衆は他言語を使う。言語が分断している。
日本では、子どもですら字を読み、本を読む。児童向け教養出版物の出版社がマンガの出版社となった。
マンガの単行本は50年代あたりだと、現在の物価に換算して1冊2000円くらいした。これでは子供には高すぎて買えない。そのため貸本システムが発展した。
マンガの原稿料は(資料が乏しいのだが、竹熊健太郎氏によると)1970年代から現在までだいたい固定されている。70年代くらいまでは原稿料だけで家を建てることができた。当時のマンガ家は儲かる仕事であり、そのため才能豊かだが就職先の乏しい女性などにとって適した仕事だった。
1960年代くらいまで、単行本はあまり流通しなかった。雑誌で充分儲かっていた。
児童向け教養出版という流れの知的源流には、大正期の教養主義がある。ピアノ、百科事典、文学全集的な。この教養主義・文学志向はトキワ荘に生きていて、たとえば赤塚不二夫はディケンズを翻案したマンガを描いた。60年代の少年雑誌は、マンガ半分、教養記事半分だった。
日本のアニメは、30分毎週放送するという特殊な発展をした。そのため枚数を減らし、絵を単純化した。大量の低賃金アニメーターによって支えられた。
高畑勲は東大文学部仏文科卒だ。それが映画が好きだという理由で、当時中小企業だった東映動画に入社した。宮崎駿は学習院大学政経学部卒だ。当時の東映動画の給料は、大企業や官庁の給料に対しそれほど見劣りしないものだった。高学歴の優秀な人材が「漫画映画」業界に流れ込んだ。
優秀な人材・教養主義・実験が可能だった市場の余裕・大量生産体制により、青少年向け大衆芸術としては文化性の高いアニメ・マンガが日本で生産された。文化性の高い作品は発表当時は大衆的人気はいまひとつだったが、業界全体に余裕があったため製作が継続し、単行本化や再放送で評価の高まったものが多い。
このような歴史的事情から日本のアニメ・マンガは発展し、越境した。しかし近年、日本経済と市場の衰退・教養主義の減退により、実験的商業作品を作る余裕が失われつつある。ネットなどで実験的作品を発表する場はあるが、それで生活を成り立たせるのは容易ではない。石田美紀*2
東映は後発の映画会社なので「子供」市場を意識していた。東映は戦後創設された。1956年に東映動画が作られるが、これは前身は松竹系東宝系の会社だった。1954年に東映は子供向け時代劇を作成している。
小熊英二
私は日本を他国と比較するとき、1;インド、2;インドネシア、3;英仏独など の順で考える。たしかにアメリカ40年代は日本と共通性がある。出版娯楽を支えた条件という点で。
近代芸術はパトロンシップで成立したところがある。徳間の社長が宮崎駿に出資し、手塚治虫が自分の稼ぎでCOMを作り、白土三平がガロに貢いだように。ライアン・ホームバーグ
今後のマンガ家の在り方としては、横山裕一http://www.worldcat.org/title/garden/oclc/728089537の例がありうる。彼はアートの世界で稼いでいるマンガ家だ。
小熊英二
かつてのような条件は今後はないので、マンガがどう生き残るか。滅びかける文化は国家か大学が保護するケースがありうる。
私小説家は私小説では食えないので、現在は皆、大学の先生になっている。
インドの伝統音楽も、大学の先生になって継承されている。伝統音楽には専門家なんてかつてはいなかったのだが、保護するために大学の先生として、インドの花嫁修業の学生に教えている。石田美紀
「まどか☆マギカ」http://plaza.bunka.go.jp/festival/2011/award.php?cat=animation&no=1は「ヤクザ映画を少女でやってみた」と虚淵玄は述べている。東映への先祖がえりかもしれない。
小熊英二
少年ジャンプの3つのキーワードは、友情・努力・勝利だ。だが、この頃は「努力」が希薄になっている。
「巨人の星」「あしたのジョー」は、スラム街から努力して出世してブルジョアに勝つ物語だ。「あしたのジョー」が東南アジアで放映されていたが、たいへんよく合う。
現在の日本の少年マンガから努力が欠落している。かつては努力することを延々描いていた。「努力しても勝てない」というリアリティが現在はある。
少女マンガは昔から努力しない。努力しても少女は勝てないから。少女が勝つのは、恋か、白馬の王子様がやってくるか、魔法による変身か。(「まどか☆マギカ」のような「魔法少女」に男性がリアリティを感じるのは「努力しても勝てない」というリアリティが共通するからだ)ライアン・ホームバーグ
3.11や原発について、もっとマンガ化されていいはずだ。少ない。
2 「文化の共有地」としてのマンガ
ジャクリーヌ・ベルント*3
マンガは国内文化の共有地になっているだろうか。
マンガ論は大きく3つに分かれる。
1;グローバル化、「国」との関連付け
2;産業としてのマンガ
3;ファン文化とマンガ
今回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で受賞した『ファン・ホーム』http://plaza.bunka.go.jp/festival/2011/award.php?cat=manga&no=5は、初版で5万5000部発行され世界中で読まれている。和訳は3500部にすぎない。
日本のマンガ文化は受容の面に問題がある。「社会的コミュニケーション」が成立しない。
しりあがり寿『あの日からのマンガ』http://plaza.bunka.go.jp/festival/2011/award.php?cat=manga&no=2 は、未来完了形のマンガだ。
(しりあがり寿は例外的だが)3.11以降、マンガは文化共有地としての役割を果たしていない。
日本の著作権の問題について。著作権が濫用され、マンガ評論が不可能に近い。評論ができない点でもマンガは文化の共有地になっていない。
マンガ文化は自己完結的だ。3.11以降、過剰な自粛があった。そのことはもっと問題とされるべきだ。
消費者と批評家は別な読みがあるべきだ。3 全体総括パネルディスカッション
小熊英二
「社会的コミュニケーション」から連想したのだが、日本では「文化」という言葉はnon-political non-economyとして使われている。「文明」は戦争も政治も含む。(「文化」が政治経済から切り離されているのは「社会的コミュニケーション」不成立の原因となっている。良くないことだ。)
会場から横浜国大の先生
「批評は商売の邪魔になる」と言われる。(どうしたものだろうか。)
休憩時間に小熊英二先生に挨拶した。マンガ家の原稿料に関しては一次資料が全然なくて困っている、ということだ。誰か、学生さんで、マンガ家の原稿料について特化して研究してもらえないものだろうか。
コンベンションは土日の二日間開催。私は二日目のみ聞いてきました。私が聞いたセッションは全体統括セッションまで含めて4つ。
セッション3が小熊英二がキーノート、モデレータ(司会)が岡本美津子(東京藝術大学学院教授、プロデューサー)、コメンテータがライアン・ホームバーグ、パネリストが石田美紀。この小熊先生の講演はUstreamとかで配信すべきとても素晴らしいものだった。ただ、石田美紀の話は表層的で深みがなくつまらなかった。
セッション4はグダグダで聞くに堪えなかった。
セッション5はインドネシアのマンガ家による講演と、ベルント先生による講演。モデレータは加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授)、コメンテータは高橋瑞木(水戸芸術館現代美術センター学芸員)。高橋瑞木の話は退屈ではないのだが、発表者並みに長くてそれはどうかと。
全体統括のモデレータは吉岡洋(京都大学大学院教授)https://twitter.com/#!/hirunenotanuki http://bit.ly/wCrhQw。この人の話はピントが合っていて面白いのだが、「欲張ってスピーカーをたくさん招きすぎてしまった」と反省していた。そうだね。文化庁主催のこういうイベントが継続されることを望む、ということを言っていた。そうだね。
[6月2日、追記]
会議録出ました。http://www.simul-conf.com/icomag2012/icomag2012_proceedings.pdf
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*1:日本芸術振興会特別研究員。美術史博士。雑誌『ガロ』研究家。The Comic Journalに成果を発表 http://www.tcj.com/the-johnny-ryan-interview/
*3:京都精華大学マンガ学部教授。2001年外務省主催「第二回・子どもの性的商業的搾取に反対する世界会議」http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/csec01/gh_0112.htmlのAMIのワークショップ「漫画はCSECではない」でパネリストをしていただいたことがあります。http://picnic.to/~ami/repo/katsudou.htm