カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「黄昏泣き」続き

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130224/1361712728の続き。

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娘が「黄昏泣き」しているとき、旅行中の老母から電話があった。電話内容はくだらないというか意味不明ないつものそれだったが、ちょうど私が膝の上に娘を抱いていて、娘が黄昏泣きしている最中だった。
翌日から、老母が、娘を小児科に連れて行けとしつっこく私に言うようになった。
嫁に一応その件を伝えると、「赤ちゃんは泣くものでしょう、バカじゃないの」と呆れて脱力した。
その脱力に私も同感する。

2

我が娘は、生まれたときから、どちらかというと赤ん坊らしく泣かないほうだった。泣き方が遠慮がちで弱弱しいのでむしろ私はそれが心配だった。珍しく「黄昏泣き」のときだけ、赤ん坊らしく泣いた。「ああ、やっとウチの娘も赤ん坊らしく泣けるようになった、良かった良かった、良いぞその調子で自己主張できる人間になれ」と私は快く娘の「黄昏泣き」を聞いていた。
黄昏泣き」は動ける部分の少ない赤ん坊の、肺活動のエクササイズだと私は解釈していた。
我が娘の「黄昏泣き」の泣き方は「不快」を示す泣き方とはちょっと違っていて、「ラ、ラ、ラ」と規則的に泣き、感極まった時だけ赤ん坊らしい「あんぎゃあ」という泣き方を、我が娘はしていた。基本的に今もしている。
他の赤ん坊は生まれたその時から「あんぎゃあ」と全力で泣くが、我が娘は泣き方が遠慮がちだ。「あ、あ、あ」と、猫の鳴き声のような泣き方を生後1か月強、2か月くらいまでしていた。

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私は「黄昏泣き」を赤ん坊の肺活動のエクササイズだと思っていたが、嫁はもっと複雑な受け止め方をしていて
1;どうあやしても泣きやまない(生後1か月弱の頃)
2;泣きやまないからエクササイズだと思うことで自分を納得させる
3;でも泣くということは不快表明だろうから、不快を除去してやりたい
という葛藤に嫁は若干悩んでいた。
生後2か月強での「黄昏泣き」は、私が立った状態で赤ん坊を抱いてあやせばわりと簡単に治まるようになっていた。ので、嫁がそういう葛藤に苦しんでいると判ってからはあやして泣き止ませるようになった。「黄昏泣き」は、赤ん坊を入浴させて布団に入れればわりと早く治まるということも判った。以前「黄昏泣き」について言及したころは、午後7時頃に赤ん坊を入浴させて布団に入れればそれでだいたい治まる、と判っていて書いた。

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ということで私と嫁は「黄昏泣き」を「そういうものだよね」と解釈していたし、私は遠慮がちな娘に自己主張が芽生えた望ましいくらいに思っていたのだが、我が老母の解釈と対応は違った。
1;赤ん坊があんなに泣くのはどこかおかしいから、病院へ連れて行って診てもらえ。と我々に命じた。
2;娘に、「お母さんが困るから泣いちょ(泣くな)」と諭した。

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「赤ん坊は泣くものでしょう、赤ん坊が泣くからといって病院に連れて行くなんて私にはできない」と嫁は呆れ憤慨した。嫁に同感する。「我が老母よ、お前は子供を育てたことがないんか」と私も思う。
我が老母は私が赤ん坊の時、赤ん坊だった私があまりに泣かないから不安になって病院へ行き、ごくまれにギャン泣きしたときに不安になって病院へ行き、どっちでも医者から呆れられたというエピソードを持ち、そのことを自慢気にしつっこく何回も披露した人だ。
「私は困っていないのに、私をダシにするなんて酷い」とも嫁は私に訴えた。その憤りにも同感する。

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ところで赤ん坊に対して諭したりお願いしたりすると、赤ん坊がちゃんと聞き分けする、ということは、経験的に私は知っている。
これは赤ちゃんの生まれつきによってだいぶ左右されると思うが、我が甥も赤ん坊の時、我が妹、甥の母親が「明日は泣かないで」とお願いしたらちゃんと聞き分けたとか、我が妹が子供二人の出産のとき、それぞれ、「連休の間に生まれると困るから連休は避けて」「湖上祭の時に生まれると困るから湖上祭は避けて」とお願いしたらその通りに出産できた、といった事例があり、私の娘が生まれるときも「臍の緒が絡まっているから、まずそれを外しなさい」と嫁の腹の中の娘にお願いしたらそのトラブルが解消できたhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20121212/1355322509とか、そういうことがあり、経験的に知っている。娘は自力で臍の緒の絡まりを解除したその数分後に、産み落とされて頭から病院の床に激突した。生まれるときから親の言う通りにして酷い目に遭っている。
私が知っているのと同じように、赤ん坊も聞き分けをするものだということを我が老母も経験的に知っている。
しかしながら、生後間もない子供に抑圧を命じるというのは、抑圧のできる能力のある赤ん坊にとっては残酷な行為だと私は思うし、くだらないことでああじゃのこうじゃの子供に抑圧を命令すると、我慢には限界量があるからいざという時に我々の言うことを聞かなくなると私は思うので、私は娘に「泣くな」とお願いする気は毛ほどもなかった。嫁も同じだった。

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我々は過疎地域の田舎の一軒家で嫁と夫と両方で赤ん坊の「黄昏泣き」をあやしているから平気だが、これが都会のアパートで嫁一人で「黄昏泣き」と向き合っていたら堪らないだろうね、とは嫁と言っていた。

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老母が娘に「泣くな」と言ったその日から、我が娘は「黄昏泣き」をほとんどやめた。
我が娘の聞き分けが良すぎて、むしろ私はそのことが心配になる。
「泣きたかったら泣いていいんだよ、パパもママもちっとも困っていないから」と私と嫁は娘に言っているが、その要求はちと難しすぎて、老母からの要求と矛盾していて、娘としても困るだろう。
店舗にいる間は娘は全く泣かない。夕方、私と嫁の寝泊まりしている「離れ」に移ってからは、遠慮がちに娘は「黄昏泣き」をしている。
たぶん我が娘は生来遠慮がちだと私は感じているので、遠慮しないように育てたいものだが、さてうまくいくだろうか。

9

私と嫁は、我が娘を大人の都合で抑圧するべきではない、と思っている。
我が老母は、「赤ん坊が泣く」という当たり前な出来事を受け止める能力がないので、病院を頼ろうとしたり、赤ん坊を抑圧しようとしたりする。
「ふつうは逆だよね、赤ん坊が泣いて、嫁がオロオロして、姑が赤ん坊は泣くものだと諭すよね」と嫁が言った。我が老母は昔から一貫して、子供に自分以上に「大人であれ」と要求する。それはたいへんに変態的なことであり、我が老母は生後70日の我が娘よりも幼稚で聞き分けがない。

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