『未来の思い出』について思いついたこと
http://twitpic.com/d2ehz0について。以下、記憶だけに頼って書くので、たくさん間違いあるかと思う。
1
これは藤子Fの『未来の思い出』の一ページだと思う。
『未来の思い出』は、藤子Fの自伝的作品であり、同時に自己批判が作品化された、自分自身をプラスティックのように硬質に眺める視点で描かれた作品で、この編集者による主人公への批判は、わりとパターンというか定型に則って作品を描いていたことへの、なんちゅうか、自己批判…いやたぶん否定しきってないから、そのもやもやした感情を告白したと、そういうセリフだと思う。たぶん日テレ版『ドラえもん』の放送が終了した頃、自作品を振り返って、藤子Fは強くそう感じたんじゃないかなとか思う。
たしか『未来の思い出』ではこの後、主人公はだんだん売れない漫画家になっていき、劇画に日拠ってまるっきり売れなくなった…かなあ。書庫のカオスの奥にたぶん存在する『未来の思い出』を発掘すれば確認できるけど、発掘する前に遭難する。あ、思い出した、たぶん違うわ。でもこれから読む人のために訂正しない。
一作品ごとに成長するマンガ家でありたい、という意思は一つの線としてこの作品には流れている。でも成長の仕方が、なんちゅうか、深読みすると藤子Fの内面の恐ろしさが感じられるそういうのなんだけど。絵柄のかわいらしさで恐ろしさを気づかせないけど、万物に対し、接するすべての友人知人に対し、神の視点から主人公は対処し(同時に、神の視点ではないと偽装して、それでいながら故意に稚拙に作品を描くなどして)行動しているので、ねえ、そういう内面て、もっているものだけど。あの硬質な画面でそれを淡々と描く藤子Fって、怖い人だと思う。だからこそ偉大なマンガ家なんだろう。
2
『未来の思い出』は『まんが道』へのアンサーとしての側面があるのに、安孫子(藤子A)が一切登場しないという点でも不思議な作品だ。考えようによってはこれも怖いことだ。ドラえもんやオバQなど、常に「主人公がコンビで」子供向けマンガを描き続けていた人なのに。でも大人向けSFの主人公たちは孤独なキャラが多かったな。
安孫子(藤子A)の『まんが道』最終章は「愛…しりそめし頃に…」という副題なので、その副題のインスピレーションからこの作品は作られているかもしれない。『未来の思い出』はラブストーリーなんですよ。少なくともオチは。
『未来の思い出』の主人公が体験する恋愛は、藤子Fが実際に経験したかどうかはわからない、たぶんしていないと思う。似た恋愛は、星新一が実際に体験している。星新一の伝記によると。実際に星新一本人から聞いたか、あるいはSF業界での噂話でか聞いて、(すでにこの時点で星新一の伝記は出版されてたっけ?)疑似自伝である『未来の思い出』の物語の軸に使った、ということはありそうかな、とか思う。
以上メモ。
感じるところのあった同志は をクリックされたし。
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