「才能」というものとか、生まれつきのものとか
1
我が娘は少なくとも生後1年目くらいまで、動作に品があった。
生後1年4ヶ月目の現在、強情な性質を示しているのは、生まれつきによるのか、私が与えている環境によるものか。自分の思い通りにならないとガンガンと頭を打ち付けるという動作をするようになった。こういう頑固さは少なくとも嫁の家系にはないようで。我が老母の系統の遺伝か。
我が娘が初めて喋った言葉は「どうぞ」だ。先日、児童館で他の乳児を観察したところ、他の乳児も人にものをお裾分けしようと本能的に、誰に教わることもなく自然に行う。生来人は人にものを分け与えようとするものであり、独り占めにしようとするのは教育によるものかとか思った。老子的解釈かな。
教育とか、保護者が与える環境とかは、本人の生来の資質を悪くさせなければ上出来なのではないかとか思う。
連想するに我が娘と同時に生まれた乳児はバカみたいにギャン泣きしていた。あの乳児は気が強いのだろう。我が娘はまるっきり泣かなかったので気が弱い性質ではないかと思っていたが、生後1歳4か月の現在、強情な性格を見せているので、その心配は杞憂だったようだ。自然分娩ではなく病院の都合で人工的に1週程度出産を早めたので最初期には生まれ出る覚悟が本人になかったのだろうなとか思う。
2
俺は現在観光業をしているが、その大部分は接客業なんだが、接客業というのは客が喜ぶのなら疲れを忘れるみたいな性格の人間が適職で、俺はエロ漫画家のわりには愛想が良くて人見知りをしないという特性の持ち主だったが、観光業者接客業者としては、根っこが人嫌いであるから、仕事との相性が宜しくない。
嫁の方が接客の才能は素で勝っているんだが、あいにく育児に嫁のエネルギーと時間と労力が割かれているのでその辺巧く行かない。
我が老母がせめて我が娘を終日あやしてくれていたら我が嫁が接客できるようになるのだが、我が老母は乳幼児をあやしていられる堪え性がないので、それは全く期待できない。
3
「才能」というのは、同じ作業をして疲労の度合いが少ないこととか、同じ課題に対して正解を早く直感できることとか、そういうことを指すと思う。
俺は塾講師としてはまずまず「才能」があった。疲労していても生徒の顔を見たら疲労を忘れることができた。各生徒に何をすれば成績が向上するのか直感できた。
俺はロビイストとしては運は良かったけど「才能」はたいしてなかったな。
俺は漫画家としては「才能」が乏しかった。だが老母からのあれやこれやを内的処理するのにあのアートセラピーは必要だった。
俺は接客業者としては「才能」が乏しい。我が観光業の「正解」は、我が人生の半分以上をこれに費やしているので、大枠としては我が老母老父よりは見通してはいる。が、疲労消耗の度合いが酷くて回復しない。接客は好かないし接客による疲労は全然回復しない。そういうあたり「才能」はあまりないのだろうと思う。