カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

伊豆三津(みと)と伊豆修善寺へ

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夏季繁忙期が終わった。
ので、疲労を癒しに、嫁と伊豆の方へ泊まりに行った。
河口湖の季節はとっくに冬の始まりだったが、伊豆は夏の延長だった。

2

1泊目は伊豆三津(みと)の松濤館http://www.shoutoukan.com/へ。価格帯が高いのもあってか客が少ない。温泉に浸かり、海岸を嫁と娘と少し散歩して、また温泉に浸かり、巧いマッサージ師の人に揉んでもらって就寝。
旅の友に『社会運動の戸惑い』を読んで、5章234-235pのところで、福井でのバックラッシュに対して「事実上、フェミニスト側の対抗運動を報告するブログの機能を果たしていた」ブログが「自身の生活に関する私的な内容と、運動の報告が共存」していて「運動が支援カンパを求めている中」「提訴の報告とともに、老舗高級温泉宿に泊まって高価なズワイ蟹を食べたことが記載されるなどもあった」「このように、運動の報告ブログであることと」「私的なエントリーを載せる当初のブログ趣旨との機能上のミスマッチは、問題を生じさせていった」といった下りを読んで、すげえ同情したりした。
翌日、三津シーパラダイスhttp://www.seapara.jp/でイルカショーとかアシカショーとかアザラシとかクラゲとか見た。
修善寺へ移動して、ちと迷って、「虹の郷」http://www.nijinosato.com/というところに着いた。
「虹の郷」のイギリス村からカナダ村まで小さいSLで移動して、ブランコ乗って娘を滑り台に乗せた。園内をダラダラ歩き、園内の漱石記念館へ行ってみたが閉館時刻で観れず。「虹の郷」はまだ作成途上な感じで、日本庭園ゾーンは造園中だった。これはアレかなあ、市町村合併の時に得た予算で地元の存亡をかけて観光の目玉として作成途上なのかなあ、とか想像したんだけど、どうなんだろうね。俺の住んでいる山梨県にはそういう観光施設がわりと多いような気がしたのでそこからの連想。

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2泊目は修善寺の「菊屋」http://www.hotespa.net/hotels/kikuya/に泊まった。若き日の昭和天皇が滞在したとかいう部屋だった。温泉に浸かり、また温泉に入り、また温泉に入り。

翌日、修善寺に来たのは初めてだったので修善寺を散策した。http://www.shuzenji-kankou.com/walkingmap.html
竹林の小道から赤蛙公園を過ぎた。赤蛙公園のあたりから施設が妙に新しいのが気になり、このあたりもごく最近観光開発してみましたなのかな、地元の観光協会が頑張ったのかな、とか嫁と話した。
修善寺の観光地の外れに近い源範頼の墓へ向かいながら、源頼朝もその息子も難読名前だよね、という話題となり、北条政子は夫も二人の息子も将軍になったけど結局自分が将軍になったよね、その後は源の血筋は絶えて北条の血筋で支配するし、きついキャラだったみたいだし、考えてみると我が老母様にちょっとキャラが近いかもしんないな、とかバカ話をした。
娘が途中眠ったので、娘を乳母車に入れて歩いた。源範頼の墓へ向かう道がスロープではなく階段になり、嫁と共同作業で乳母車ごと娘を運んだ。
階段が終わっても石畳で、乳母車を引けず、市町村合併で得た予算で観光開発してみたけどこの辺で予算が余ったからカッコよく石畳にしたんだろうかとか、乳母車をひいひい運びつつバカ話した。
源範頼の墓の近くに風流な茶房があったので、そこで休憩した。
その途端、携帯に電話があった。電話番をしているはずの我が老母が全く電話番として機能していないため俺に旅行業者から苦情と問い合わせの電話だった。
まあ、我が老母は電話番として機能できない人だ。どうすればいいんだろうね。風流な気分は消し飛んですげえぐったりした。

4

帰途、東富士五湖道路が工事中で、片側通行だった。行きもそうだったのだろうが、俺は全くそのことを記憶していなかった。
と嫁に話したら、俺はアルツハイマーの疑いがあるのではないかと嫁が不安に感じた。
関心のないことを一切全く記憶しないのは昔からで、そういえば東京で下宿していた友人である大家から「上の空」な人間だと評されたことを思い出した。
半分以上空想の世界に生きているタイプではある。

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