カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

老母が怪我した

1

今週末、3月21日22日に妹夫婦が妹の夫の父母とともに、河口湖にほど近いホテルへ宿泊するそうだ。我が老母はそれを聞きつけ、ぜひその際に我が家に呼んでとりもちたいと言っていた。21日は我が宿泊業が満室でそんな余力がなくて我が嫁の負担がバカみたいに増えるのだが、我が老母はそういうことを考慮する能力を生来欠いている。我が老母は妹の夫の夫婦を招くという思い付きに興奮しまくってバーニングしまくっていた。

2

3月は春休みがあるから、それなりに客が動く。今年は3月の連休がないが、宿泊価格を値引きしたのもあって、連休がないのを補うくらいに客が動いている。
16日月曜は、満室に近かった。客が多くなると老母は興奮するので、しないでもいい清掃作業とかを色々していた。
老父は週3回行くデイサービスの日で、朝から行っていた。
俺は宿泊客の入る部屋の準備などをしていた。
フロントに戻ると、老母がけっこう大怪我をしていた。顔の右側から血が出ていて、鼻血も少し出ていて、右腕にも血が流れ、それを左手で抑えて痛がっていた。嫁が病院に電話していたが、担当部署をたらい回しにされ、そのうち電話が通じなくなった。
階段から落ちた、と老母は言っていた。どこの階段なのか要領を得なかったが外階段からコンクリートに落ちたらしい。外階段と言っても我が施設には複数あってどれのことなのか判然としない。見た目けっこう重症そうだ。病院へ俺か嫁が連れて行こう、と老母に提案した。病院へ行くにしてもまず連絡しておかないとムダに待たされるから連絡を先にしておけ、と老母が言う。
救急受け入れをしていそうな病院へ俺も電話した。電話口で担当部署を色々たらい回しされてムダに時間がかかって、「我が老母はすぐ死ぬような状態じゃないけど、死にそうな人だったらこの間に死んでいるぞ」くらい待たされているうちに電話が通じなくなった。
電話機が故障でもしているのか?
電話で救急病院へ連絡を再度とるのも面倒くさくなってきたので、119番に電話した。10分ほどで来た。
病院まで嫁に付き添ってもらおうか、と老母に言う。だが、救急車に嫁が乗っていくと今度は嫁が病院から自宅へ戻る方法がない。後で冷静になって考えればタクシーで戻るという手段があったがその時は俺も嫁もそのことを思いつかなかった。
付き添いはいらない、歩けるから。家の商売を間に合わせておけ、と老母が言う。老母の価値観的にはそうだろうな。
なので救急車に付き添いはしなかった。救急隊員が「どの病院へ搬送するかすぐ分かるから、その間待っていてください」と俺に言った。待った。待った。充分待たされた後、「搬送先は搬送中に決める、決まったら連絡する」、と救急隊員が言った。救急隊員も俺たちが病院から被ったムダな回線たらい回しに遭ったようだ。
以上がたしか午後1時ごろの出来事。

3

午後3時頃、病院から連絡があり、医師の説明を受けるために付き添いが行く必要が出た。嫁が行った。娘は眠っていたので俺が預かった。
俺一人で留守番しているところに、老母の妹さんと、その娘…俺の従妹が来た。従妹は里帰り出産で、その赤ちゃんを見せてくれに来た。そろそろ生後2ヶ月くらいになるかな。老母の妹さんには老母の状況を教えた。
しばらくして、嫁から電話連絡があった。右腕の骨がずれ、顔が骨折しているとのことだ。検査と医師からの説明にまだ時間がかかる、とのことだ。
ところでこの時点でウチの労働力は俺一人で、満室に近いので、接客対応は俺一人でできるが、2歳の娘をあやす人が必要だ。
老母から嫁経由でバイトのおばさんを呼べ、という指令が来た。いやそのおばさんは前日までに連絡しておかないと来れない人だし、午後5時までしかいられないからそのおばさんに来てもらうのはムリだし来てもらってもあまり事態が好転しません。
さもなくば老父の姉を呼べ、と老母から嫁経由で指令が来た。老父の姉は我が娘をあやすのに適材だ。連絡した。老母が怪我して嫁が病院に付き添っているので、我が娘のお守りをしてほしいと。
幸い、老父の姉はこの日に特に用事がなかったので来てくれた。

4

午後5時頃老父が戻り、午後6時前に嫁と老母が戻った。老母は顔が腫れ包帯を巻き、凄い姿だった。娘はそれを見て怖がって泣いた。
老母は本当は手術が必要だが、血液の凝結を阻害する薬を服用している関係から、手術は一週間後となった。
俺の妹一家の旦那方の親族を週末に我が家に招く計画になっていたが、とてもそんなことはムリになったので、妹にメールで連絡した。返信がないので電話して説明した。
老母はこの夜すぐ寝た。寝たところに老母の妹さんと、老母の兄嫁が見舞いに来てくれた。
老父の姉に来てもらった時は曇天だったが、夜になり雨天となった。老父の姉はスクーターで来ているので、帰る手段がない。のもあって、老父の姉にはこの夜泊まってもらった。
嫁と娘には先に「離れ」に帰ってもらい、夜9時頃フロントを閉め、俺も「離れ」に帰った。
 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150325/1427295103 へ続く。

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