始皇帝の夫人たちと、劉邦についてのおもいつき
今、藤田勝久『項羽と劉邦の時代』を再読している。kindleで。
32%位置No.1156に以下記述があった。
『史記』には、なぜか始皇帝の夫人について、まったく記されていない。しかし始皇帝までの秦王の婚姻をみれば、すでに昭王と孝文王が楚から夫人を迎えており、趙に人質であった荘襄王(子楚)が、趙姫を夫人としていた。
筆者は、始皇帝の長子扶蘇は楚の王室につながり、末子で二世皇帝となる胡亥は戦国趙の王室につながるんじゃないかと推測している。
ところで以下はカマヤンのおもいつきなんだが、始皇帝の夫人について『史記』で記されなかったのは漢王朝でのタブーに触れていて、たとえば劉邦と呂后がともに扶蘇の母親である楚の王室の付き人の家系だったとかそんなことがあったんじゃないかなとか想像するんだけど、だから劉邦は若かりし頃ヤクザみたいな生活していて亭長という役職にやっとこさ就いたのに豪族である呂氏から夫人を娶り、県の役人である蕭何から目をかけられていた理由じゃないかなとか想像するんだけど、同時に漢王朝時代に始皇帝の夫人について語られなくなった理由じゃないかと想像するんだけど、以上思い付きを忘れてしまうのはもったいないと思い記す。
- 作者: 藤田勝久
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/07/24
- メディア: Kindle版
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