カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

ストーリーを追う能力を欠く生徒・マンガを読む能力を欠く生徒

塾の生徒に、国語がとことん得点できない生徒がいる。この生徒は国語のテストの時、自分自身の解答能力によほど自信がないのだろう、他の生徒の答えを盗み見ることだけにエネルギーを注ぎ、そのため物凄く凶悪な目つきになる。人でも殺しそうな目つきに。
保護者と話をする機会があった。この生徒は、ドラマ、映画、アニメを集中して観ることが能力としてできないらしい。ストーリー性のあるものを理解できない、ストーリーを追えないらしい。バラエティ番組だけは理解できるらしくビデオで撮って繰り返し見ているらしい。もちろん本やマンガは全く読めない。一種の障害なのだろうと思う。保護者はまったく普通の高学歴者で、マンガを読まないわけではなく、いっそ国語力養成になるのならマンガでもいいから子供に読ませたいと思って試したそうだが、マンガを読む能力をこの子供は欠いている。
そういう「障害」のある人は一定数いるんだろうなあ、と思った。この生徒は日常言語能力は豊かでは全くないが、他人に嘘をつける程度には言語能力がある。だから「障害」があるとは他の人は気づかないし、算数はそれなりに得点できるので痴呆というわけではない。成人した頃には「ふつう」と見なされるだろう。だが「物語」やフィクションを楽しめる人間にはたぶん一生ならないだろう。
バラエティなら理解でき、ストーリーは理解できない人間の内面は、想像するに、できごとの全てが断片としてバラバラに脳内にあるのだろうと思われる。できごとが有機的につながっているという感覚・情的な連続性、といったものを欠いた内面世界だと思われる。
そこから連想したのだが、フィクションを嫌う人々の中には、「物語を追う」能力を欠く人が一定数いるんじゃないかな、と思う。「物語を追う」能力を欠いていたら、フィクションや創作物に興じる人々の存在は、恐怖であり憎悪の対象となるだろう。

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画像はhttp://piapro.jp/content/6dw4w522h9j87a2iから。