カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

中学受験国語で得たもの、中学受験国語で訓練される思考法

1 中学受験国語で訓練される思考法

昨年卒業させた美少女小学生のために続けていた塾講師という仕事を惰性でまだ続けてしまっているが、中学受験国語の講師をしていて得たものもあるので、それを以下に記述する。
受験国語の教授法の参考書として最も頼りにできるのは石原千秋だ。石原千秋という著者を知ったことは受験国語講師をしていた収穫の大きなものの一つだ。以下、石原千秋から学んだことを自分なりに書いてみる。

「自己中心的はダメ」

受験国語には一貫した「思想」がある。受験国語はある種の思想検定を受験生に対し行なっている。最も平易な言い方をすると「自己中心的思考法はダメ」という「思想」である。
受験校は、精神的に成熟している受験生を合格させたい、と考える。少なくとも規範的思考法への想像力がある受験生を合格させたい、と受験校は考える。よって、入試問題は「自己中心的思考法」しかできない「幼稚な受験生」を選別排除することを主眼に作成される。

論説文読解の重要キーワード「絶対」と「相対」

受験国語で使用される論説文は、「二項対立」図式になっていることが多い。それを読解するためにどうしても生徒に叩き込んでおかなくてはならない概念が「絶対」と「相対」である。この言葉自体は受験勉強の過程で「対義語」の知識として登場する。「対義語」知識は論説文を読解するための語彙を習得することも目的の一つである。
「絶対」とは、「がちっと固まっていて動かない」というのが基本イメージだ。「すでにできあがっている秩序・序列はもう動かない」、ということだ。
「相対」とは、「自分も動いていて、相手も動いている」、ということだ。以下二つの例をあげる。君はタライに乗って湖の上をぷかぷか浮かんでいる。相手もタライに乗ってぷかぷか浮かんでいる。タライの底には360度回転するスクリューがついている。今それが動いているかもしれないし、動いていないかもしれない。君から見て相手が動いているように見えても、それは相手が動いているのか、自分が動いているのか、君にはわからない。これが「相対」の基本イメージだ。
もう一つの例。君は電車に乗って窓の外のもう一台の電車を見ている。片方が各駅停車で片方が特急だ。君から見て右の方向へ相手の電車は動いているように見えるが、それは相手が右に本当に進んでいるのではなく、自分が相手より速く左に動いているのかもしれない。これが「相対」の基本イメージだ。経験したことあるね?
「絶対」の考え方というのは、別な言い方をすると、「自己中心的」な考え方だ。
たとえば「天動説」は「絶対」の考え方だ。地球が世界の中心にあり、太陽や星はその周りを回っている。これが「絶対」の考え方だ。そうじゃなくて、「地動説」、地球が太陽の周りを回っていると考える、これが「相対」の考え方だ。
もっと言うと、星や太陽は君たち一人ひとりを中心に回っているように、君たち一人ひとりには見えるはずだ。「したがって世界の中心は自分であり、世界は自分を中心に回っている。自分が行なった全ての観測の結果はそれを示している。よって世界の中心は自分である。極めて論理的である。」…これが「絶対」であり、「自己中心的」な思考法だ。そう考えちゃダメだ、と、論説文は必ず言っている。「自己中心的」とは幼児的思考法であり、必ず批判される。
これが国語の論説文でベースとなる「思想」だ。

受験国語読解のための「二項対立」

受験国語で使用される論説文は、「二項対立」図式になっていることが多い。「二項対立」について説明する。受験国語の論説文では以下の2つの概念が対比的に語られることが多い。
 【社会的に価値ありとされる概念・語群】大人、成熟、文明、都市、男性、正常、普通(普遍)…
 【社会的に価値が低いとされる概念・語群】子供、未熟、自然、田舎、女性、異常、特殊…
受験国語の物語文・小説文の場合は「成長」がキーワードであるから、ストーリーは【社会的に価値が低いとされる概念・語群】から出発し、【社会的に価値ありとされる概念・語群】へ至る過程が出題されていることが多い。たとえばドラゴンクエストは「未熟」で「子供」だった勇者が「成熟」し「大人」になるストーリーだ。恋愛話は意外に受験国語によく出題されるが、主人公ははじめ「未熟」な「子供」として登場し、恋愛をきっかけに一つ「大人」になる、一つ精神が「成熟」する、そういう構造になっている。
受験国語の論説文は、これとは逆である。「ふつうは【社会的に価値ありとされる概念・語群】のほうが価値があると言われているが、本当にそうだろうか? 【社会的に価値が低いとされる概念・語群】のほうにこそ見るべきものがあるのではないか?」これが受験国語の論説文の基本構造である。

「二項対立」と「譲歩構文」

受験国語の用語の一つに「譲歩構文」というものがある。「たしかに…だ、しかし…」という構文である。「たしかに」の後と、「しかし」の後、筆者自身の考えが語られているのはどちらか? もちろん「しかし」の後だ。
「譲歩構文」は長めの記述を書く際に使用する。自分の意見への予想される反論を先に「たしかに」をつけて書き、「しかし」でつなぎ、自分の意見を書く。これにより「私は自分とは違う意見も理解している」ということを示し、高い得点を得ることができる。
「譲歩構文」が繰り返し記述されているのが受験国語の論説文である。受験国語の論説文の基本文型はこうだ。「たしかに【社会的に価値ありとされる概念・語群】の価値を私も認める。しかし【社会的に価値が低いとされる概念・語群】の価値を私は主張したい」。

「君は他人の心を想像できるか?」

受験国語の物語文・小説文で問われるのは、「君は他人の心を想像できるか?」ということだ。他人の心情への理解力、理解できないまでも他人の心情を想像しようとする力、それが問われ、それが訓練される。他人の心情への想像力は、自分とは違う人間の行動・反応への理解力である。これが受験国語の物語文では繰り返し問われる。「自己中心的」で「幼児的」な情緒は作中にある場合は悪として登場し、受験生が「自己中心的」で「幼児的」な情緒を選択したときそれは必ず誤答とされる。

論説文で頻出するテーマ「自意識系」

受験国語の論説文には「自意識系」と呼ばれる文章が頻出する。呼ばれるというか私が呼んでいる。
ふつう思春期になると「自分とは何なのだろう」という疑問が芽生えるものだ。「自分とは何か」を問うときに、「自分を客観的に観察するもう一人の自分」が生まれる。これが「自我」の芽生えであり、「もの心のついた」状態である。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061011#1160521802
中学受験でも高校受験でも、「自分とは何なのだろう」という疑問を生まれてこの方一度も真面目に考えたことのない受験生は、たくさんいる。「自意識系」の論説文はこういう「もの心」のついていない受験生を振り落とすために出題される。
よって受験生は、「自分とは何か」を問い、「自分を客観的に観察するもう一人の自分」を内面に育む訓練を行なう。
これを「二項対立」で解釈すると、「主観的」と「客観的」の対立図式となる。その図式で筆者が支持するのは当然「客観的」のほうである。生まれてこの方一度も自分を「客観的」に考えたことのない、幼児的な情緒の持ち主を排除することが設問の目的である。別な言い方をすると、「自己中心的はダメ」ということだ。
以上が受験国語に内包されている「思想」である。受験に合格させるために、国語講師はこの「思想」を小学生や中学生に叩き込む。この訓練に成功した生徒は国語得点力をつけ、この訓練についてこれない生徒は国語得点力がつかない。

2 安倍晋三的「タカ派」言説

ここから、安倍晋三並びにその周辺への批判を記述する。安倍晋三は初め、「タカ派の英雄」としてマスコミで異様に喧伝宣伝された。
さて、安倍晋三的「タカ派」の言説内容とは、 1;相手の言い分を全て虚偽か誤りだと断定する。 2;自分の言い分を全て全世界が承服すべきだと断定する。 3;自分や自分達とは違う視点がこの世に存在することを認めない。 といったものである。 そうじゃないタカ派もいる、と異論を言いたい人もいるだろうし、「本来のタカ派」はそうじゃない、という意見もあるだろうが、ここでは「安倍晋三タカ派」のみを問題としている(←譲歩構文)。別な言い方をすると、「タカ派に一見見える安倍晋三の言説」を問題としている。なお「安倍晋三的」と「ネトウヨ的」はwebですでに常識化しているごとく、ほぼ同義である。受験国語の「類義語」単元に記載される日もそう遠くない。いや、それは冗談。
安倍晋三並びにその周辺の発想・思考法とは、 1;自己中心的で何が悪い。 2;世界は日本を中心に回っている。事実なんかどうでもいい。どうでもいい事実の一つには安倍晋三の自慢の祖父がA級戦犯として法廷で断罪されない代わりに従米売国政策を行い続け日本の独立を阻害したこととか、売国集団「統一協会」の政治部門「勝共連合」の創設者が岸信介であり、日本の「右翼活動」のほとんどが、少なくともの商業的右翼活動の全てが売国活動亡国活動であることも含む。 3;「日本」国家を「客観的」に観察する問いかけの全てを「サヨク」とか「北朝鮮」とか「在日」とか罵倒して悪魔化する。 以上のように整理できる。
安倍晋三並びにその周辺の発想・思考法は、少なくとも日本の受験国語が「悪」として、「そんな奴、国家のためにならないし、どこの受験校であっても来てもらっちゃ困る」として排斥し続けた自己中心的幼児的思考法である。
安倍晋三が生まれてこの方、成蹊小学校(三菱系)の小学校お受験を祖父の七光りで通ったことをほぼ唯一の例外として「受験」を一度も経験していないことが、安倍晋三並びにその周辺の自己中心的幼児的思考法を50歳を越えるまで温存し続けた原因だとは言わないが、しかし受験勉強を真面目にした経験があれば、安倍晋三的自己中心的幼児的思考法を社会の側は「悪」「有害」「無価値」だと判断していることを知る機会が安倍晋三にもあっただろう。安倍晋三的「タカ派」行動・発想とは、幼児の夢想であり、ふつうは3歳から15歳までの間に克服されるべきものである。
安倍晋三を継続的に観察しさえすれば、日本人男性の少なくとも半数以上は安倍晋三よりは頭がいいので、安倍晋三が幼児的であることに気づくはずである。今回の参院選での自民党の得票の少なさは、安倍晋三の露出が増えたことにより安倍晋三が低能であることに気づいた人が多かったことを示す。安倍晋三という低能を「タカ派の英雄」として当初宣伝喧伝していた新興宗教政治連合体「日本会議」や広域暴力団住吉会」やその傀儡の人々は、亡国の責を負うべきである。

3 丸川珠代選挙の「日本人でよかった」というバカキャッチコピー

丸川珠代安倍晋三が出馬させた。したがって丸川珠代選挙でのキャッチコピーは安倍晋三的文脈で解されるべきである。よって丸川珠代選挙の「日本人でよかった」というバカキャッチコピーは以下のように解されるのが正解である。 1;日本人中心主義(=自民党中心主義的=安倍晋三中心主義)で何が悪い。 2;世界は日本(=この場合、安倍晋三とその周辺のみを実際には指す)を中心に回っている。事実なんかどうでもいい。どうでもいい事実の一つには安倍晋三政権下に日本の国際的評価が対米での評価や日本への石油産出国での評価を含め最低なものとなっていることも含む。事実とは乖離した白昼夢の中で安倍晋三とその周辺以外の日本人は飢え死ぬべきである。パンがなければお菓子を食べればいいのだし(マリー・アントワネット)、米がないのなら肉を食べればいいのだ(中国南北朝時代の恵帝) 3;安倍晋三政権を「客観的」に観察する問いかけの全てを「サヨク」とか「北朝鮮」とか「在日」とか罵倒して悪魔化する。そのために「日本人でよかった」とコピーをつけた。「在日」は日本征服をたくらむ悪の秘密結社である。そうでなくてもそういうことにする。「日本人であること」以外に何一つ誇れるもののない惨めな人々を、これで慰撫でき動員できるはずである。ただし半島系統一協会は悪魔化しない。朝鮮総連公安調査庁が癒着していたことも徹底的に無視する。安倍晋三自身が韓国系パチンコ資本と繋がっていることも隠蔽する。事実なんてどうでもいい。 
以上が丸川珠代選挙でのバカコピーの示す内容である。アパルトヘイト政策時代の南アフリカ共和国政府が「白人でよかった」とコピーをつけているようなものだ。こんなものに唆されるバカ日本人がもし多ければ我々は日本人に絶望すべきである。新興宗教組織に動員され指示された新興宗教信者たちは政治的行動を宗教的献身の一部だと信じこまされているので哀れな犠牲者であると同時に政治的には亡国の徒であるが、新興宗教信者でもないのにこんなものを擁護しているとしたら、善悪の別すら判らない相当な低能である。もちろん安倍晋三とその周辺は善悪の別すらつかない相当な低能揃いではあるが。安倍晋三という存在は何重にも日本を侮辱しているし、刻々と日本の国益と日本の威信を傷つけている。

同感するところがあったり、バカボン安倍晋三にこれ以上日本を壊されたくないと憤っていたりする同志は、  にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。