カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

2015年4月の伯母の葬儀の思い出

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150416/1429195296
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150418/1429370754
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150508/1431051768 の続き。

1

昨年4月に、我が老母の兄嫁であるところの伯母が亡くなった。
その伯母と我が老母が、昨年1月、一緒にタバコ組合の新年会へ行き、帰ろうとする老母を伯母が随分引き留めた、という話を我が老母がした。我が老母は感情移入能力に難のある人なので我が老母をなぜ引き留めたのか、言語化できないままにいる。一年ぶりにタバコ組合の新年会があり、それで老母がそんな話をした。

2

その伯母の逝去時、伯母の親族、俺から見ると母方の親族が伯母の家に集まった。
人が死ぬと、通夜や葬儀の前に、故人の友人たちが訪問に来る。我が地方ではこれを「仁義」という言い方をする。
伯母の家は民宿で、伯母の遺体は広間の一番手前に初め寝かされていた。その広間の奥に「仁義」に来た人を接待するためのお茶の用意がしてあった。
この配置は実にまずく、「仁義」に来た人は入り口近くに皆座り、遺体に面会し、そのままお茶も飲まずに帰った。ふつう遺体が寝ているところを通り抜けてお茶を飲もうとは思わない。
伯母の喪主である長男は、脳梗塞に罹って以降人格が劣化してあまりマトモに思考できない人だ。俺が提案し作業して遺体の位置と接待のためのお茶の席を入れ替えた。

3

伯母の通夜や葬式のスケジュールを、伯母の親族が話し合い、決めた。色々な方面に手配した。
手配が済んだところで、我が老母が「スケジュール日程が早すぎる、もう一日二日遅らせるべきだ、あんたらは『姉さん(伯母)』をそんなに早く送りたいのか」と喚きだして頑として聞かず、大揉めになった。
「伯母の親族が話し合い」の現場に我が老母はいた。我が老母は話し合いの現場にいて、話し合いに参加せず「仁義」に来た訪問客の接待などをして、決定がなされて手配が済んでから文句をつけた。
あまりに揉めたので、俺はその現場にいなかったのだが、老母の妹さんから、老母を説得してくれとの電話が来た。
もちろん俺が老母を説得できるはずもないのだが、現場に行った。
で、上記のとおりのことがあった、という話を親族たちから聞いた。
我が老母の言動が変なのはいつものことであり、老母の親族がその老母の言動のおかしさにここぞというところで直面して、「ああ、我が老母が『おかしい』ことを母方の親族の皆様が思い知ってくださって、ほっとした」と感じたのが偽らざる気持ち。
手配が済んだ後なので変更が効くはずもなく、というかどうしても変更が効かないわけでもないが、変更にかける労力と理由を勘案すると変更する必要なんてないので、通夜と葬儀は当初予定通り行われた。
そういう「変」な母親と同居して仕事している俺と俺の嫁は偉い、と、母方の親族間で評価されたようだ。
そんなことがあった。思い出したので書いておく。

4

ほとんどの段取りが済んだところでその計画をひっくり返す、という悪癖は我が老母は重要な場面でわりと繰り返していて、近年では我が宿泊業の施設の施工の際も行ない、設計士と業者は苦悩し泣かされ、当然ながら施工賃が跳ね上がり、施工賃が跳ね上がったことを設計士と業者が結託してごまかしたのだと我が老母は解釈した。これは俺が塾講師時代のこと。

5

我が老母が「おかしい」人だということ自体は、親族や周囲からの理解や同情があれば耐えられる事柄であるが、それがないと耐えられない事柄だ。
もう30年早く理解を得ていればもう少し早く俺も心が安定しただろう、とも思う。
つくづく思うんだが、俺は理解や共感というのに飢え渇き、切実に求め、理解や共感や同情を得られないことにムダに長く苦しんだ。

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