カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

石森章太郎、補遺

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160219/1455885041 の続き。
70年代には、手塚治虫石森章太郎の関係は、マンガジャンルの父親(手塚)と、父以上に優秀な長兄(石森)、といった感じだった。
手塚治虫石森章太郎の関係は、下手に喩えるとかえって混乱を招くが、たぶん江戸川乱歩横溝正史みたいな関係だった。70年代の石森章太郎手塚治虫の弟子筋であると同時に手塚治虫のライバルだった。
2016年時点では石森章太郎手塚治虫や藤子Fほどは評価が高くないようだ。
手塚治虫藤子・F・不二雄と、石森章太郎の現在の評価の差異は、以下二点によると思う。
1;手塚治虫藤子・F・不二雄は、死の寸前まで「傑作」を描き続けた。
手塚治虫の絶筆となる『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』はどれも凄く面白い。続きが読めないのが残念だ。この三作品はどれも手塚治虫が今まで語らなかった何かを語ろうとしている予感のうちに手塚治虫の死により中断している。手塚治虫の神格化は藤子不二雄A『マンガ道』により始まったが、手塚治虫の絶筆作品によって完成した。
藤子・F・不二雄も死の寸前まで、少しずつ絵が上達するという空恐ろしいことをしていた。ひょっとしたら優秀なアシスタントにより絵の質が向上していたのかもしれないが、硬質な絵の中に、徐々に独特なエロスが増えていったのがマニアからは見て取れる。藤子Fも死の寸前まで作品が劣化せず、少しずつヒロイン主体の作品群を増やしていくという品質向上の過程の中、死んでいった。藤子Fはその謙虚な人柄も神格化を後押しした。藤子Fは手塚治虫に対して常に弟子として振る舞った。イエスに対するペテロ、孔子子路の関係を連想する。
一方、石森章太郎は60年代から70年代は傑作ばかりを描いたが、80年代には駄作という程ではないが、凡作ばかり描くようになっていった。
手塚が深刻なスランプに襲われた劇画ブーム時代にも石森は別にスランプに罹った風はない。劇画ブーム時代に東映ヒーローを量産し、劇画ブーム筆頭のさいとうたかを原作『バロム1』と石森ヒーローの子供向け合本を作るなどある意味70年代はノリノリだった。
70年代の余韻があり、80年代トキワ荘神格化の中で、トキワ荘世代筆頭格としては石森章太郎が意識された。本人もそれを意識していた節がある。とはいえ作品は凡作になっていった。手塚が死去した頃、これからは自分が漫画界筆頭だと意識しての発言をテレビでしていたのを見て、痛々しく感じたのを覚えている。「石ノ森」と改名して「萬画」とか言いだしたあたり、酷い老害に劣化したと、見ていて辛かった。石森章太郎は凡作ばかり描くようになった末に亡くなった。死を惜しまれるほどの作品は描かなくなって久しかった。そのため石森章太郎は死によって神格化されなかった。
2;手塚治虫と藤子Fは「全集」により、神格化がいっそう進んだ。全集により作品が繰り返し再評価される下地が作られた。
と、俺は思って、たしか石森章太郎は70年代に「選集」を出したまま「全集」は出していないよなと思って検索したら、出ていたhttp://ishinomori.jp/。角川版の金額は非良心的だ。全61万円て。アホか。買える人間なんておらんわ。ああ、ここにもまた例のあの。と連想した。
手塚と藤子Fは死の寸前まで絵が荒れなかった。藤子Fに至っては死の寸前まで画力が向上し続けていた。それでこの両者の評価は、その目指した先に、上方へのベクトルになされる。
石森は多作なわりにあまり荒れなかった、と先の記事で書いたが、80年代には絵は徐々に劣化していた。『竜神沼』の頃のヒロインの硬質な美しさは、晩年には失われていた。女性の裸体のラインを、ある時期から、たるんだ肉として描くようになっていた。女性の尻の肉のその下にわざわざ肉のたるみの線を描く癖はマンガマニアに当惑と複雑な感情を抱かせた。またある時期から、主人公の鼻が凛々しさを失い豚鼻を描くようになっていった。凛々しい鼻は主人公の理想の高さを意味していた、それが失われた。下手に喩えると混乱を招くが、徐々に不味くなっていったマクドナルドをちょっと連想する。
70年代に輝いていた石森は輝きを失いつつ商業的には「大物」であり続け、その死を迎えた。
手塚と藤子Fは死して名を遺した。
石森は…。
石森の全集がもっと廉価な価格で販売されることが今後あれば、優秀なマンガ評論家・マンガ文化史家により、とくに60年代から70年代作品が再評価されることがあるだろう。デジタル大全版は廉価版もあるのかな。http://www.mangazenkan.com/e-books/item/10285465.html 
3;同時代的には、石森と藤子Fの関係は、李白杜甫の関係にちょっと似ていた。前者は柔らかく、後者は硬質だという点も。

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