後藤寿庵、カート・ヴォネガット、野暮、悪書追放運動
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Togetter - まとめ「エログロ漫画家の悩み」 http://togetter.com/li/17199
というのにブクマがたくさんついていたので覗いてみた。
…どなたかと思いきや、後藤寿庵大先生ではないですか。後藤寿庵先生は「先生」と呼ぶに相応しいマンガ家だと思う。webは人の交流に新しい回路を作るなあ、と感慨。
ところで「内容を理由とした検閲・表現規制」って、法的には憲法違反なんですよね。日本では憲法違反が常態化しているからなのか長年続いた自民党政権が日本国憲法を嫌悪していたためなのかあまり意識されていないけど。
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昔、カート・ヴォネガットという人の本が、禁書になった。そのことについてヴォネガットは著作の中で何回か発言しているが、今、手元にないので引用できない。たしか「悪書だと決めつける人は、その本を読んでいない」という旨言っていたはず。
「読まないで『悪書追放』する人」と、「読んで作家・作品を支持する人」では、常に前者が有利であり、後者は不利である。ある作品を読んでいる人より読んでいない人のほうが常に圧倒的に多いからである。それがどんな作品であるとしてもだ。
検索したら、ヴォネガットについて言及している以下を見つけたので、張っておく。
http://maimaituburi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-1135.html
しかし「悪書」とはなんぞや。
その昔はマンガが悪書だとされましたねえ。マンガばっかり読んでるとバカになるとか。いまやマンガ(アニメ)は日本の誇る文化で、どこぞの首相の肝いりで殿堂までできかかったりしてますけどねえ。
ネットで悪書追放運動を検索すると、トップには“思想弾圧”みたいな記事がでてきます。“焚書”を連想してしまいます。悪いものは青少年に見せたくない、その気持ちは分かりますけど、“都合の悪い”ものも”“悪書”にされちまいます。
映画『フットルース』の中で大人から悪書扱いされていたのが、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5(ファイブ)』(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death、1969年)ですが、これこそ青少年に読ませるべき作品です。アメリカに都合の悪い「ドレスデンの虐殺」がテーマでした。
2009年7月 2日 (木) 10時59分
http://www.geocities.jp/moronbi/book/bookclub/A/vonnegut1.htm
◆ヴォネガットへの賛否両論
ヴォネガットの作品もまた、若者たちの間で熱烈に支持されましたが、その一方では子供に悪影響を及ぼすと誤解され、時おりアメリカ各地の教育委員会の手によって、公立図書館から締め出されたそうです。彼の作品『スローターハウス5』を焼却炉で燃やすように命令したノースダコタ州ドレイク市の教育委員会の委員長宛てに書いた手紙(1973)のなかでヴォネガットはこう述べています。【12】毎年わたしのもとへは、少なくとも一ダースの大学や高校から、卒業記念講演の依頼がきます。わたしの作品は、アメリカに現存するおそらくどの作家のものよりも多く、広い範囲で学校のテキストとして使用されています。もしあなたが、教養ある人物にふさわしく、わたしの作品を実際に読んでくださるなら、それらがセクシーではなく、いかなる種類の野蛮さの味方をするものでもない、ということを了解なさるでしょう。
へぇ、と驚いたのは、ヴォネガットの作品が学校の教科書に載っているという点。
向こうの人はいかに自分の作品が正当であるか主張する訓練ができているなあ、とか思った。日本では作家が自分の作品の正当性を述べると「野暮である」という評価をまず被るし、「野暮だ」という意識を持つ人しかたいがい創作家にはならない。つらいところだ。
ヴォネガットを語る斎藤環
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/saito/bungaku0202.html
〔『スローターハウス5』を〕いま読み返すと、これはトラウマとPTSD(トラウマ後ストレス障害)に関する、実に見事な寓話たり得ている。ビリーの経験する「時間旅行」は、あきらかに外傷的記憶のフラッシュバックを意味しているのだろう。つまり、トラルファマドール星人の哲学は、「永劫回帰」の精神医学版にほかならない。
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「悪書追放運動」で今検索したら、トップにはこれ↓があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E6%9B%B8%E8%BF%BD%E6%94%BE%E9%81%8B%E5%8B%95
漫画バッシング [編集]
戦後、日本においては反戦運動が顕在化することとなるが、それは決して国民の総意であったわけではない。多くの漫画雑誌が戦記漫画を掲載し、読者の心を掴んでいった。あるいは漫画家の中にも帝国主義を肯定する者、兵隊に憧れる者は多数いた。それは手塚治虫とて例外ではなく、戦後神風特攻隊を賛美した漫画などを描いた。あるいは戦時中の様子や、日本の現状を生々しく風刺した作品も出る。
そんななか1955年、各地のPTAや「日本子どもを守る会」「母の会連合会」が展開したのが悪書追放運動である。同運動は漫画を校庭で焚書するなどの過激さを増した[2]。さらに図書選定制度や青少年保護育成法案を提唱、実質的な検閲を要求するまでにいたる。出版社側は連名でこれに反発する。
この悪書追放運動は、その後も止むことなく、1950年代の後半まで続いた。
1955年の悪書追放運動の直接的な所産としては、北海道(1955年)、福岡県(1956年)、大阪府(1956年)に青少年保護育成条例が制定され、有害図書が規制された[3]。(なお、北海道に先行しては、岡山県(1950年)、和歌山県(1951年)、香川県(1952年)、神奈川県(1955年)に青少年保護育成条例が制定されていた。)
2006年11月5日に放送されたNHKスペシャル『ラストメッセージ第1集「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」』によると、焚書の対象となった中には、手塚治虫の代表作である『鉄腕アトム』までもが含まれていた。手塚が受けた批判の中には、「『赤胴鈴之助』は親孝行な主人公を描いているから悪書ではない。」というものがあったが、手塚が回顧する処によると、その様に主張した主婦は、実際には『赤胴鈴之助』を全く読んだり見たりしておらず、「ラジオでその様に聞いた」というだけの事であった。また、高速列車や高速道路、ロボットなどの高度な発展の描写を「できるはずがない」「荒唐無稽だ」と批判した上、手塚のことを「デタラメを描く、子どもたちの敵」とまで称した者もいたという[4]。この様な過激な焚書運動は、後に「漫画の神様」と称されるに至った手塚さえも大きく苦しめる事になった。
1963年、出版社が共同で出版倫理協議会をたて、自主規制を行う事に決めた。
なお、悪書追放運動自体は戦後独特の現象ではなく、明治中期の新聞[要出典]には「近年の子供は、夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。これは子供の危機である。」という記事が載り、これによって悪書である小説へのバッシングが発生したりしていた。