カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『チョムスキー、民意と人権を語る』

チョムスキー、民意と人権を語る』読了。

チョムスキーが世界人権宣言について論じた「アメリカによる力の支配」が収録されている。そこから以下抜粋。

〔アメリカの〕犯罪発生率は高いとはいえ、銃による殺人―アメリカの銃所持法の投影である―を別にすれば、〔アメリカの犯罪率は〕工業国の水準からかけ離れているわけではない。しかし、犯罪への恐怖を抱いている人は非常に多く、ますます増えつつある。それ〔恐怖感〕は主として、「犯罪そのものとほとんど関係がないか、まったく関係のないさまざまな要因から生じるもの」であると、国家刑事司法委員会は(他の調査と同様に)結論づけている。その要因には、メディアの活動や「市民の恐怖をかきたてる政府や民間企業の役割」が含まれる。
犯罪者として取り上げられる対象はきわめてかぎられている。たとえばスラム街の麻薬常習者であり、重役室の犯罪者は取り上げられないのだ。だが司法省の推定では、企業犯罪による損害額は路上犯罪の七倍から二五倍にものぼる。労働に関係する死者数も殺人の犠牲者数よりもはるかに多い。(153−154p)
また、この手段によって国民全体を怯えさせることもできる。これは人々を服従させるためによく使われる手段である。このような政策は、富を極度に集中させる一方で、国民の大多数の生活状態や収入を停滞させるか低下させるのに大いに役立つ。(155p)
犯罪統制産業は刑務所の労働力を利用する新たな機会を企業に提供している。(156p)

以上は日本の「凶悪犯罪」報道にも示唆を与える。つまりより社会的に重要で深刻な事柄から意識を逸らさせ、より重要な事件に割くべき紙面と報道時間を相対的に減らすためにある種の凶悪犯罪報道は洪水報道される。
たとえば今だと、ヒューザー自民党伊藤公介議員の関係、そこから後ろに深く連なる与党の犯罪だ。
あるいはアメリカ狂牛輸入再開により、日本人を狂牛病にする決定を小泉が下したことだ。
あるいはアメリカ軍下請け日本軍が下請け軍・植民地軍としていっそう増強されたことだ。
これらより重要な報道に割く紙面と時間を相対的に減らさせるために、広島や栃木で起きた、さほど重要でない小学生殺人事件が過剰報道されている。小学生殺人事件の情報が、報道される紙面と時間の割りにいつも必要以上に小出しなのは(報道させたがるくせに警察からの情報が小出しなのは)、他の報道を相対的に減らすため、という目的・からくりがあるのだ。つまり読者を焦らさせ、下種な興味喚起を行ない、さほど重要でない事件にもかかわらず相対的に報道時間を伸ばし、ついでにそれが、警察がより生活に介入する口実となるという自作自演構造だ。
以下はメディアと「本当の世論」のズレについて。

アメリカが〔京都議定書批准に〕反対しているとよく言われますが、事実とは異なります。抵抗しているのはアメリカ政府なのですから。国民のおよそ四分の三は、京都議定書を支持しています。そのうえ、ブッシュに投票した人の半数以上は、大統領が〔京都議定書に〕署名するつもりだと信じているのです。(36p)
他にもアメリカ特有の事例は山ほどあるのですが、そこに表象されているのは、政党やメディアが本当の世論より、はるかに右に寄っているという図式です。京都議定書はほんの一つの事例にすぎませんが、実際、人びとは情報システムにミスリードされるので、ひいきの候補者が彼らの姿勢とはっきり対立していても、味方であることを疑っていません。〔略〕だから正確に言えば、京都議定書に反対しているのはアメリカ政府であり、アメリカ国民ではないのです。(37p)

なるほど、そういうからくりだったか。と感じた方は、をクリック下さい。

「権力」とメディア/警察官職務執行法改定案の事例

1958年、岸信介政権下で警察官職務執行法改定案というものが登場した。戦前の「オイコラ警察」に辟易していた民衆がこれへの広範な反対運動を展開した。女性誌が「デートも出来ない警職法」というレーズを作り、さらに反対運動が広がった。
これを繰り返させまい、と、「権力」が考え、マスコミへの継続的介入がその後半世紀行なわれた。
警察官職務執行法改定案は日米安保条約改定に先駆け、アメリカ軍が日本国内の内乱に出動する権限を放棄する代わりに警察力強化をアメリカから要請されたものだ。
この警察官職務執行法改定案以前は、警察による職務質問・所持品調べ・身体検査は、逮捕された人間にのみ許されていた。それを「犯罪を犯すと疑うに足る相当の理由のある者」にもなすことができるようになり、その判断は警察官個人の権限とする、という改定案だった。*1
この警察官職務執行法改定案反対運動が直後の安保反対運動に大衆運動的にはつながっていく。その過程ではテレビなどの「新メディア」が大きな役割を果たした。が、「七社共同宣言」以降、新聞社は政治に従属する。
 参照 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050913
テレビは放送法・電波法により総務省管轄事業として総務省及び官邸の統制下にあり、報道は警察記者クラブを通じて警察及び官邸の宣伝機関となっている。
かつては冒頭のように反体制活動牽引したこともある女性誌だが、現在の女性誌は周期的に社会不安喚起のデマを流している。おそらくある時期から公安警察による統制が入ったのだろう。
放送・出版関係の労働組合活動を統括している上智大学文学部新聞学科教授・田島泰彦は公安警察の下請け臭い。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1081957958/l50

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*1:

135-136p

メディアは戦争にどう関わってきたか

たいへんに良書である。
ポーランドの「ビスワ川の奇跡」がもし広く報道されていたら第二次世界大戦は全く違う様相を示していただろうし、「冬戦争」がもし広く世界に報道されていなかったらフィンランドへの世界の評価は全く変わっていただろう。
日露戦争で日本が勝ったのは英米メディアの恩恵によるものであり、日本はそのことに最後まで無頓着だったから十五年戦争に敗北する。そして日露戦争講和条約締結時にはロシアが欧米メディアを味方にすることに成功したから、日本はロシアに譲歩せざるを得なかった。といった事例がさまざま書いてある。

たとえば以下、日中戦争の事例。

田中上奏文」に関しては戦前から多くの研究が行なわれ、国内ではほぼ偽書と断定されていた。(59p)
だが日本、ことに外務省は、「プロパガンダ」の恐ろしさにかなり鈍感だったようである。(60p)
松岡〔洋右〕は「上奏文の用語に熟して」いれば誰でも偽物と見抜くだろうと言った。だが、「熟して」いたのは日本人でも一部。まして一般の欧米人が「容易に」偽物と見抜けたとは到底思えない。〔略〕
〔略〕プロパガンダに対抗する最も有効な武器はメディアを活用しての応戦、場合によっては別のテーマを取り上げての攻撃である。しかし、この問題で欧米や中国メディアを使って必要十分な対抗作戦を展開した形跡は見つからない。
〔略〕大日本帝国は中国戦線の泥沼に踏み込んだことで破滅への道を進むが、中国側で日本の運命を決定づけたとも言える女性がいる。宋美齢である。日中戦争を通じ、日本軍は戦闘では中国国民党を圧倒し続けるが、宣伝戦では終始中国側の優勢が目立った。その立役者が宋美齢だった。〔略〕(62p)
一八九七年、キリスト教のバイブルを印刷して富豪となった宋嘉樹の三女として〔宋美齢は〕上海に生まれた。長姉アイ齢は大富豪孔祥熙と結婚。次姉慶齢は辛亥革命清王朝を倒した革命家孫文に嫁いだ。美齢は十一歳で米国に留学、ジョージア州の名門ウェイズリイアン女学校に学び、マサチューセッツ州ウェルズリー大学に転じて二十歳まで米国で過ごした。一九二七年、国民党南京政府の実権を握った蒋介石と結婚。この結び付きは国際的な脚光を浴びた。〔略〕
宋美齢が留学中に築いた人脈と米国人の宋美齢に対する親愛感は、中国の立場を世界に主張する大きな力となった。彼女はいきいきとメディア戦に立ち向かう。〔略〕(63p)
〈「蒋夫人のデマ放送」【ホノルル特電十一日発】十一日午前十一時半南京から蒋介石夫人の英語宣伝がNBCの中継で当地でも明瞭にこれを聴取することが出来た、夫人は「日本軍が無辜の婦女子を虐殺している」と日本誹謗に重点を置き、米国一般民衆の同情を惹くことにこれ努めその宣伝効果は相当大きいものと思われた〉〈三七年九月十三日付朝日新聞夕刊〉
米国仕込みの英語を駆使し、また米国人の心理を知り尽くして訴える宋美齢の「中国の声」は、ボディーブローのように効いたようである。〔略〕(64p)
軍事史家・西岡香織は、当時の状況について、「中国大陸における権益の競争者である日本に対し、英米仏等は完全に支那側に立ち、蒋介石政権もそれを徹底的に利用して国際世論を引きつけたのである」と書いている(西岡香織『報道戦線から見た「日中戦争」 陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡』)。英米仏が権益の競争者であったことは間違いない。だが、国際世論を引きつけたのは権益をにらんだ各国の政治的立場よりもむしろい、宋美齢を中心とした懸命の宣伝戦の成果であったと考えられる。(66p)

これら事例を読みつくづく思うのは、兵器偏重主義な言説は、兵器ビジネスに雇われている連中でしかない、ということだ。
私の「国防論」は圧倒的に正しい。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050129#1107020504

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挑発「ペルー人に同情」?

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051202#1133465637 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051203#1133548022 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051204#1133683437 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051205#1133725331の続き。
私が「ペルー人に同情」して色々書いている、と、誤読している人がいる。ていうか具体的には  http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/453.html への反論。敢えて挑発するが、バカじゃねえの?
オウム事件で射撃された国松警察長官は公安警察予算を削ろうとした警察庁長官だった。彼を射撃したと「自供」した人物は公安警察官だった。国松長官を狙撃することで得をするのは誰だ?
石井紘基殺害事件で「自供」した伊藤白水は、出頭前に公安警察に相談した。殺害を教唆したのも公安警察だったとも言われている。
公安警察は、左翼活動が沈静化した80年代以降は存在する必要のない部署だ。少なくとも真っ先に縮小リストラされるべき部署だ。にもかかわらず、現在も警察予算のほとんどは公安警察予算に回され、そのため刑事警察は予算が足りず、通常事件解決すらできない。警察社会は旧陸軍と同様、初めから出世の限界値が決められている、不健康な組織だ。官僚制の悪が集約しているような役所だ。
マスコミ報道は、警察記者クラブに依存し、警察発表に依存している。
公安警察はたとえば都庁生活安全課などに名を変え、起きてもいない「青少年犯罪増大」という嘘を連呼し、その嘘が事実であるかのように思わせるために特定犯罪をマスコミに取り上げさせる。たとえば幼女殺害事件などは実際の重要度より遥かに長い時間、報道で扱わせる。
どの事件を報道させるか、という判断は記者がするのではない。警察がするのだ。たとえば95年ごろ九州では久間三千年という連続幼女殺害事件があったが、これは警察が全国報道にしなかった。どの犯罪を全国報道とし、どの犯罪を報道しないかは、警察の意図によって決められている。
その公安警察は、戦前、朝鮮人虐殺をした部署で、共産党員拷問殺人を繰り返した部署で、戦後ものうのうとその人脈が繋がり、現在に至っている。三鷹事件松川事件など、公安警察が起こしたと思わしき事件は戦後も繰り返されている。
日本には、公安警察をチェックできる機関が存在しない。戦前の陸軍が自作自演で犯罪を犯していたように、公安警察が自作自演で犯罪を発生させ、それを吹聴している可能性を問うことのどこがおかしいのか? 想像したこともないのなら、それは単にお前が現代史を知らないだけだ。
戦前の「朝鮮人」と同じ役割を、たとえば「オタク」は担わされようとしている。

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