カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

ムズムズする言葉

私は「リベラル」という言葉を使用するのを避けている。まず「リベラル」という語の意味が不鮮明で、どうにも馴染みが悪い。こういう外来語は、とくに政治的な文脈では、故意に何かを不鮮明にするときに使われがちだ。本気で根付かせる意識があるのなら、どうにかしてやまと言葉にしようと四苦八苦するはずだ。平気で「リベラル」という言葉を自称として使う人間は、その辺の感覚が鈍いのか、何かを誤魔化しているかのどっちかに見えて、警戒心が先立つ。
学術的な文脈で使っている人に関してはどうこう私が言うアレでもないのだけど、政治家だと、たとえば鳩山由紀夫あたりは、意味が判って使っているとはとても思えない。「自分が大衆に比べ多くの自由を持っている」ことを「リベラル」と言っているようにしか聞こえない。そんなものは「リベラル」ではない。
田原総一朗は、左翼と同義という意味で「リベラル」という語を用いているが、この場合、「私は極右擁護者である」「私は反自由主義である」「私はアンチリベラリズムである」「私は、アンチリベラリズムな現体制を擁護する」というメッセージを暗に発信しているのだと読み解くべきだろう。もちろん田原総一朗も「大衆より多くの自由を自分が持っている」という意味で自分のことを「リベラリスト」だと思っているだろう。そんなものは「リベラリスト」の名に値しない。
だから私は極力、「リベラル」という言葉を使わない。
[09:13]他の人に使うなと主張要求しているわけではない。「リベラル」という語を使うのが妥当適切な時は使うべきだ。私自身は使い勝手のよさを感じないだけのことで。