カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

沢田竜夫『「デモ」と「広場」の戦後史』/『「治安国家」拒否宣言―「共謀罪」がやってくる』

『「治安国家」拒否宣言―「共謀罪」がやってくる』*1の内容紹介はすでにしたような気がしていたけど、それは錯覚だったんだなhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050725#1122318973 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051128#1133108539と気づいたので、以下、ザクッと内容紹介。
色んな論者による言説が収録されているが、一番面白いのは沢田竜夫「『デモ』と『広場』の戦後史」。この一遍を読むためだけでも、この本は購入する価値がある。以下抄録する。小見出しは原文のままである。

1 デモの醍醐味が消えた

言論・表現の自由の危機が叫ばれている。〔略〕
〔略〕このままでは大変だと思いたったらまずどうすればいいのか。〔略〕手っ取り早く、金もかからず、誰でもできて、多数の人々に訴えかけることができるのは街頭デモンストレーションである。
デモの権利は、日本国憲法二一条でしっかり保障されていることになっている。〔略〕
ところが、日本国においては、デモの権利は一応認められてはいるが、実際にデモをやるとなると、ともかく不自由なのである。〔略〕
なぜデモが不自由なのかの説明に入る前に、二〇〇三年の春先に盛り上がったイラク反戦デモで見聞した話をしよう。〔211-212p〕
初めてデモというものに参加した多くの人は、道いっぱいに広がって際限なく続くデモの光景を予想したことだろう。デモの醍醐味は〔略〕日常空間が変わるダイナミズムに身を託し、声を出すことによって自分と見知らぬ他者がつながる喜びと、いつもは管理されている街路が束の間、自分たちのものになる開放感にこそある。
〔略〕それにしても待ち時間の長さが異常に長いのはどうしたことだろう。〔略〕最後尾が公園〔出発点〕を出ることができたのはじつに、集会終了後三時間を超えていたのだ。
なぜそんなに待たされたか? 警察の許可条件のせいである。条件ではデモは道路の片側を四列か五列、それ以上横に広がってはならない。しかも一つのデモの集団は団体別であれ、個人の集団であれ二五〇人から三〇〇人程度の集団に切られて、間を開けられてしまうからである。〔略〕かくして、諸外国のデモの写真や映像とはまるで異なるデモ規制に直面する。これでは、何万人集まろうが、三〇〇人のデモにしか見えないではないか(諸外国も程度の差はあれ、警察によるデモ規制・弾圧はある。しかし、日本の場合の規制は飛び抜けている)。〔214-215p〕
〔略〕イラク反戦の市民デモが終焉に向かう頃〔略〕通称「サウンドデモ」とか「レイブデモ」と呼ばれる斬新な試みが実現する。これは、巨大なアンプを積んだトラックから大音量の音楽が、DJとともにデモを煽動するというもので〔略〕踊りながら反戦と街路空間の解放を目指したラジカルな行動は、ふだんはデモに行かない若者を魅了し、〔略〕路上からの飛び入りも多く〔略〕デモの中は解放感で充ちあふれるという展開(まるで幕末の「ええじゃないか」のようだとの感想もあった)、デモ慣れした活動家にも新鮮な刺激を与えたようだった。
ところがである。従来の「デモ秩序」が破られることに衝撃を受けた警備当局は、回を重ねるごとに機動隊を増員し、三回目のデモには隊列の両側をビッシリと固め(いわゆるサンドイッチ規制。これだと歩道からの飛び入り参加ができなくなる)、さらに前方と後方も固めて、寿司の「軍艦巻き」ような規制に乗り出し、東京都公安条例違反による逮捕者も出てしまい、束の間の街路解放の夢はまたしても強力な警備陣によって潰えてしまったのである。
さて、ここに逮捕理由として東京都公安条例違反というのが出てきたが、これは一体何だろう。〔216p〕
〔略〕警察はドライバーや一般通行人に対して、「迷惑をかけているデモ」「みだりに近寄るな」という広報を流しては分断を図る。デモが本来の醍醐味を取り戻せば〔略〕通行人もカルチャーショック〔を受け、デモに共感する〕、そこで警察はデモの内と外を断絶させるために躍起になる。〔略〕
これが、同じようにドライバーや通行人に「迷惑をかける」、祝賀パレード、サンバのカーニバル、マラソンなどで、〔警察が〕そのような態度をとるだろうか、否である。〔略〕デモは権利であり憲法に保障された表現なのであって、公安条例とやらの都合で条件を付され、犯罪予備軍のごとく歩道の私服警官から写真やビデオを撮られること自体がおかしいのである。
では、デモとは最初からこうであったのか?〔略〕いわゆる「逆コース」の中で、治安弾圧体制は再編され、自由な表現空間は急速に狭められていった。こうした中で、今日に続く公安条例というデモ表現規制の条例が成立した。〔219-220p〕

2 戦後治安弾圧のクロニクル

戦後の〔デモによる〕闘いは大きく盛り上がるが、一九四七年の二・一ゼネストがGHQによって中止に追い込まれたあたりから、治安秩序の強化が図られる。やがて治安弾圧法・条例が次々に成立する。とりわけ一九四七年の「団体等規正令」、四九〜五〇年の「公安条例」(各自治体毎)、五二年の破壊活動防止法の三つは、戦後の治安体制再編を見るうえで見逃せないポイントになっている。〔222p〕

3 公安条例の制定

〔略〕日本国憲法は〔略〕国民の基本的人権の享有、永久不可侵について規定している。
然し、「集会条例」(一八八〇年)以降「治安警察法」(一九〇〇年)に至る一連の弾圧法の下で伝統的につちかわれてきた日本の治安当局、特に内務官僚を中心にした支配層の公安規制に関する思想・態度を、新しい憲法は根本的に変革させることはできなかった。〔略〕(『公安条例制定秘史』尾崎治著 柘植書房 一九七八年*2

〔略〕公安条例は占領軍の肝煎りで各地で制定が進められ、東京では労働組合が中心に公安条例反対闘争が激化、一九四九年五月三〇日には都議会にデモをかけた労働者と警官隊が衝突、一人の労働者が死亡する事態まで起きた。この四九年という年は、下山事件三鷹事件松川事件といった今もって真相が明らかにされていない怪事件が続発し、労働運動弾圧も熾烈をきわめた。〔略〕
公安条例の制定過程を見ていくと、意外な事実につきあたる。例えば東京都公安条例は一九四九年一〇月二〇日に施行されているのだが、一年も経たぬ五〇年七月三日に条例改正が施行された。この短期間で何が改正されたのか。それは何故だったのか。
まず名称。〔略〕新条例は「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」。旧ではデモの「届出書」を管轄する警察署を経由して公安委員会に提出するのだが、新では「許可申請」に変わっている。さらに新たに、申請されたデモが「公共の安寧を保持するため緊急の必要があると明らかに認められるに至ったときは、その許可を取り消し又は条件を変更することができる」という文言が付加された。
デモだけでなく集会も〔法規制対象に〕加わり、届出制が許可制となり、この集会・デモは許可に値するかどうかは公安委員会が判断できるというもので、明らかに言論・表現の自由の侵害である。そもそもデモをする前に、そのデモが「公共の安寧の保持」にとって許されるか否かを判断すること自体がおかしい。これは、デモコースをめぐる調整などとは別次元の話だ。〔224-225p〕
『公安条例制定秘史』によれば、公安条例制定を占領軍の政策の流れの中に位置づけた上で、「第二の理由は、日本の治安当局が伝統的に持っていた公安規制についての考え方である。これが占領軍、特に日本の警察力を掌握していたGHQ・G2(参謀第二部、公安課)の方針に迎合して、公安条例制定を容易にしたと言わざるを得ない」と、戦前の治安警察の思想が、占領軍当局の方針転換によって警備公安警察として生まれ変わっていった節目を分析する。〔略〕
〔略〕今日の「生活安全条例」や「迷惑防止条例」でも、例えば有事法制や盗聴法に比べると、自治体条例だからか、その関心は明らかに低い。六〇年代から七〇年代のデモの季節の渦中にあっても、公安条例を撤廃しようという大衆運動は起きなかった。しかし、今から捉えなおしてみれば、これ〔公安条例〕は紛れもなくデモ弾圧法であり、表現規制法であった。〔226-227p〕

4 思想検察の復権

〔略〕一九二五年から四五年まで、治安維持法で検挙された者は約6万8千人(なかでも集中した一九三〇年から三四年までの五年間だけで約五万人)、検事によって起訴処分になったものが約六六〇〇人、三六年から実施された思想犯保護観察制度で要保護観察(釈放されたあとも日常監視)の対象となった者は約五三〇〇人。〔228p〕
思想検察は〔略〕やがて、「検挙すべき対象がほとんど払底するという状況になっていったのである。特高警察と思想警察の『早期の検挙徹底』の成功により、皮肉なことに、特高警察と思想警察の存在意義を希薄化させるおそれが生じていた。この危機感の背後には」「予算減・人員減があったことはまちがいない。かくして、あらたな取締対象の開拓がめざされていく〔『思想検事』荻野富士夫著 岩波書店 二〇〇〇年*3〕」という暴走に、宗教者、リベラリストの知識人、総合雑誌の編集者や執筆者までが狙われ、巷の流言飛語や風紀にまで目を光らせる。まさに密告・監視社会の完成である。
この思想検察の在り方は、形を変えて戦後の公安検察に継承された。もちろん、治安維持法のやり方と戦後体制下は違う。しかし芯の部分は、例えばビラのポスティングを起訴するようなやり方に通底するものではないのか。「あらたな取締対象の開拓がめざされていく」という言葉は妙なリアリティをもって今の時代に響く。〔229p〕

ところで、上記を本日まとめたのは、昨日〔ではなく30日だった。訂正〕、オタクによるデモが挙行され、でもってweb上に警察筋と思われる、少なくとも警察筋による分断工作の教科書的記述そのまんまなデモ誹謗文を散見したことを苦々しく思ったからである。万が一、警察筋から金をもらっているわけでもないのに素で書いているのなら、お前はどれだけ警察並びに警察情報広報媒体であるマスゴミに洗脳されているのかと。デモ参加された皆様、お疲れ様。次の機会があったら私も参加する。
なお、ブログランキングクリックのところに「日本を幾たびも滅ぼし今も亡国の工作を講じている真性亡国集団の思想検察・公安警察」と書いたが、解説が必要だと思うので簡単に書く。思想検察・公安警察はまず戦前に日本の言論と知性の流通を封殺することにより、日本の知性の劣化を招き、1945年に日本を一度滅亡させた。戦犯のクセにこいつらは戦犯として起訴されないばかりかアメリカの犬として戦後復権した。ついで占領軍の謀略に加担し日本国民を売った。さらに安保闘争という日本の独立運動を潰すことで日本の魂を再び滅ぼし日本の独立を殺した。おまけに現在はカルトと組み、亡国のための工作を進行中である。更に言うと、アメリカの傀儡警察力同士であるから公安警察と韓国警察は深く繋がっている。だから最近の警察が立法しようとしている法律は韓国に前例があるものが多い。警察の最近については以下参照されたし。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%2a%5b%b7%d9%bb%a1%5d&of=50

日本を幾たびも滅ぼし今も亡国の工作を講じている真性亡国集団の思想検察・公安警察はくたばれ、と感じる熱き同志とか、オタクデモの意義を認めるクレバーな同志は、  にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。

*1:

「治安国家」拒否宣言―「共謀罪」がやってくる

「治安国家」拒否宣言―「共謀罪」がやってくる

*2:

公安条例制定秘史―戦後期大衆運動と占領軍政策 (1978年)

公安条例制定秘史―戦後期大衆運動と占領軍政策 (1978年)

*3:

思想検事 (岩波新書)

思想検事 (岩波新書)