カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

それぞれの国の「合理性」と、それぞれの国の生き残り戦略

http://b.hatena.ne.jp/blackseptember/経由でhttp://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php ←内田樹のこの記事を知った。すごい勢いでブックマークされている。http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php 
これを読んで連想したんだけど、現在アニメーターをしている素晴らしく知性に富んだ友人が、各国の兵器を調べていたことがあった。調べた結果について以下のようなことを彼は言った。
兵器にはそれぞれの国民が考える「合理性」が色濃く現われる。ドイツはボタン一つ押しただけでドミノがパタパタと連鎖するような、そういうものを「合理的」と考えている。フランスは全体のフォルムが三角形とか流線型になっているものを「合理的」だと考えている。イギリスは基本的にクラシカルで伝統的だが、必要を感じたら全体のフォルムがどうなろうが必要な最新式のものをドカッと載せることを躊躇しない。それによってフォルムが不恰好になろうが構わない。そういうのをイギリス人は「合理的」だと考えている。ロシアは重くて頑丈なのを「合理的」だと考えている。アメリカは大量生産を「合理的」だと考えている。
では日本の兵器の特徴は? と彼に訊いてみた。「小さくて可愛い」のが日本の兵器の特徴だと彼は言った。日本は「小さくて可愛い」ものを作る才能がある。
で、ここからが私の考えなんだが、「小さくて可愛い」ものが勝利する分野はやはり文化的分野だし、世界に対してラブリーであり続けることというのは日本の生き残り戦略として最も正しいと思われる。つまりオタク文化による世界制覇戦略こそが国防論的に最も正しい。などと思った。
我が「国防」論は以下参照されたし http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%2a%5b%b9%f1%cb%c9%5d
なお日本で「小さくて可愛い」ものが発展する要因としては、以下も参照されたし。 

http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-4089.html

334 :可愛い奥様:2007/06/26(火) 09:46:19 raxdPvfD0

OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。外国文化に負けまいとしているのではなく、世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、それがすごいものであることを知らされる。ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。まあね、ここのAA職人さんを見てると、この理屈もなるほどなとは思うよw

[07:30]

上記、日本だけ「合理性」について書かなかったが、その友人は「日本人の考える合理性」について述べなかった。「合理性」は「建前」と「本音」を一致させようとする精神を言う。建前が建前だけで夜郎自大に疾走したり、本音が本音だけで下品に暴走したりするところに「合理性」は存在しない。「合理性」は「本音と建前」が乖離する心構造とは対立すると思われる。
もちろん日本製兵器が「小さくて可愛い」ことに合理性なんてないわけで、日本の兵器は「建前」によるムチャな要請を「本音」がヒイヒイ言いながら遣り繰りしたその結節点だろうと思われ、そこに「可愛らしさ」が発生するのは心性の余剰だと思われる。

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