カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「人権」対「表現の自由」という偽の図式

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改めてマンガ規制反対運動の活動原則、基本戦略を確認する。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090614#1244980545
1;「人権」対「表現の自由」の図式にしない。この図式に嵌ると悪は「表現の自由」になる。(「権力」に対しては「表現の自由」を主張すべきである。「人権」とぶつかりそうな時と場所では使用を避けるのが賢明である。)具体的には被害者人権を我々は擁護支援すべきである。そうすることで「敵」は論拠を失う。
2;「女」対「男」の図式にしない。この図式にした瞬間、悪は「男」となり、「マンガ規制反対」は「男性による女性ヘイトスピーチ」と見なされる。そうであるに決まっている、という偏見が「敵」の側にはある。その根拠を崩すべきである。
3;「観念論」対「事実」の図式にするのはアリ。我々は「事実」を積み上げるべきである。「敵」は「観念」的に創作物等の「有害」性を述べているのであり、それは事実に基づかない。事実の積み重ねに我々の活路はある。その意味、性被害者証言は、我々に有益である。
4;「性教育否定派」対「性教育肯定派」の図式にするのはアリ。我々の主敵は「性教育否定派」の中に存在する(たとえば「統一協会」)。我々の味方は常に「性教育肯定派」の中にいる。

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昨年の文章を以下再掲する。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080319
施行後10年も経っているのに、直接被害児童を救済しようとすればできるのに救済しない運用をしている警察に、「子どものためにマンガ規制を」なんて言わせて堪るか。くそ。
「財団法人日本ユニセフ協会」とかが稚拙な表現で言いたがっているhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080313#1205346619のは、「未成年を性的に観念するのは未成年に対する冒涜である」ということだ。なるほど、思春期以前の子どもを性的に観念するのはたしかに冒涜的だ。それは認めてもいい。だが思春期後期以降の未成年を性的に観念するのを法的に取り締まれという要請は、性欲を持つ全ての人間を取り締まれというのに似た悪魔的要請だ。でもって、そんな「観念的」な問題なんかより、目の前に、「被害児童が救済される運用がなされていない」という具体な現実があるのに、なぜ「財団法人日本ユニセフ協会」はその具体で直接な問題を無視して、マンガ規制という観念的要請をしているのだ? なぜ具体な問題を解決しようとしないんだ? 
そもそも海外でのECPAT運動は商業的性被害児童救済がその始まりであり目的だ。「目の前で子どもが溺死しようとしているのを見たとき、放置したままでいいはずがない」というのが当初の理念だ。私は10年前にこの言葉を眼にしたとき、なんて重い言葉だろうと感じ入った。だから今でもその言葉を覚えている。今、「目の前で溺死しようとしている」のは、被害者救済規定があっても動かない警察により被害児童が救済されないことを指すはずだ。マンガが観念的に子どもを冒涜しているなんていう観念世界の遊びなんてずっと優先順位が低くなければおかしい。
「財団法人日本ユニセフ協会」と竹花豊たち警察官僚によるこれは、あくまで警察の天下り先設置のための政治活動であり未成年の救済なんかには全く関心がないと思われる。「児童ポルノ法」での「財団法人日本ユニセフ協会」の児童救済への無関心ぶりは異様だ。

以上再掲。皮肉な話だが、被害児童救済に関する提言をしてきたのは規制推進派ではなく、規制反対派だ。たとえば被害児童救済のためには所轄官庁を厚生労働省にするべきだ、という意見は我々マンガ規制反対派が署名で求めたことだhttp://www.savemanga.com/2008/06/blog-post_05.html この意見自体は10年前からあるが、規制派は被害児童が救済されていないことを問題としていない。我々の要望により民主党案では所轄官庁を厚生労働省とするという文言が入った
同じ主旨のことを、我々とは異なる立場の奥村弁護士も言っている。

http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20090619#1245394544
 これまでの運用上、提供事件の被害児童の存在は重視していませんので、被害者がいる罪なのかいない罪なのかわからないような法律だけ作って予算もつけずに救済せずに見殺しにしてきた訳で、取得罪による「取りこぼし」についてだけ、そこまで強く批判できるのかと思います。
 むしろ、「いい加減な議員立法をして調査研究保護救済もせずにいいかげんに小手先の改正して10年も維持して済みませんでした。今度こそ、ちゃんと児童を保護・救済する法律を作ります」と全員で起立して(良心の緊張状態で)反省してから、警察か厚生労働に所管を決めて、作り直すべきだと思います。

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「人権」対「表現の自由」という図式は偽の図式だ。「人権」という語には「被害者救済」が含まれている語感があるが、少なくとも国政での場において、「人権」の名の元に規制を求める勢力は、実際には被害者救済に関心がない。この事実を忘れると我々は偽の図式に迷い込む。被害者と我々は連帯はできずとも緩やかに支援しあうことはできる。
「(警察による)統制権限拡大」対「人権(被害者救済)」「表現の自由」が実際の図式だ。

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http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090616/1245152154への返信。古澤克大さんがおっしゃらんとしていることは、「ヘイトスピーチ」の権利を認めるか否か、ということかと思われます。私からの回答としては、「優先順位の錯誤をしてはいけない」「日本はまだそんな高いステージに上がっていないのだから、優先順位が低い課題は後回しにするのが賢明」です。「ヘイトスピーチの権利」は(悪い意味での)観念論の最たるもので、我々はリアルな被害者の有無と事実にこだわるほうが賢明だと思われます。我々が比較的少ない人数で、そのわりに効果的に「市民活動」を継続できたのは、「優先順位の錯誤」を今までのところあまりしてこなかったことによると考えます。
それとは別に、古澤克大書記長にはそのスキルを恃み、「国会前コスプレなんちゃってデモ」開催を期待したいところであります。「オタク=犯罪者」という宣伝戦が規制派から議員に対し繰り返し行われています。この宣伝戦を腰砕けにするための示威活動はあってしかるべきだと私は考えます。議事堂前・議員会館前の歩道は、慣例的に政治主張する場として黙認されています。そこにおいて、20人程度の、もっと多くても当然かまいませんが、「笑える」「ユーモアを非オタクにも感じさせる」コスプレ集団が「表現規制反対」「アニメーターの生活向上を」と、数日、アニソンなどを歌いつつ(つまり存在として無害であることを暗に示しつつ)議員関係者の目に触れることは政治的にたいへん有意義であります。ぜひ検討を願いたいところであります。公安やらが発狂すること請け合いですが、これは意義があります。

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「レイプレイ」経緯確認 http://icc-japan.blogspot.com/2009/06/blog-post_14.html
 「レイプレイ」を糾弾したKeith Vaz(キース・ヴァズ)与党労働党下院議員は長年ビデオゲームを批判するので有名だった。キース・ヴァズ議員はスキャンダルまみれだ。2008年保守党下院議員がBBFC〔全英映像等級審査機構審査〕を上告する政府組織設立法案を提出、それを支持するヴァズ議員が「殺人や強姦を行うゲームがある」と証言した。「強姦ゲームなど存在しない」とヴァズ議員は批判された。事実国内には存在しなかった。ヴァズ議員は「強姦ゲームが存在してほしい、存在してくれ」と色々検索し、 Amazonマーケットプレイスを経由して日本の「レイプレイ」を発見した。数ヵ月後、ヴァズ議員が「レイプレイ」を英国議会に持ち出してきた。英国議会で「レイプレイ」が取り上げられたのはイギリス国内の有害情報規制騒動に日本が巻き込まれたといえる。
イギリスの「有害情報規制」政策は、911以来のテロ対策利権に連なるとカマヤンは考える。もちろん日本でも。

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画像はhttp://piapro.jp/content/we3xqe58ukdzbt4u(alamode)から。