カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

昔話への追記

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101005#1286284559 の続き。

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表現規制反対運動」の「団体」の弱点は、マンパワー(人材ならびに労力)の不足、人材の疲弊(同じ人がやっているから)、資金不足の三点。

2

コンテンツ文化研究会」も、この「弱点」を克服できていない。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100423#1271948795で言っているところの「最前線」とは、たとえば「コンテンツ文化研究会」を含む。
内容を再掲する。「端的に言って、人間が無収入に近い状況でいったいどのくらいの期間活動していられるかということを考えれば、タイムリミットは自ずと分かるのであります。」
「最前線」に補給がない以上、現「最前線」の各人の蓄えが尽きたところで、我々の「最前線」は消滅する。

3

881 名前:名無したちの午後 投稿日:2010/10/05(火) 02:41:51 z2kAqeVN0

>879  >マンパワーの不足、人材の疲弊、資金不足の三点だ

だから、何故そういう状況になったかって事だよ。 新しい人材や資金が寄ってこなくなった理由は? また陰謀論

z2kAqeVN0さんが有能で仲間を10人くらい集めてもう一つ表現規制反対組織を立ち上げて運動してくれりゃ、現在の最前線の労力は半分になる。それだけのことだ。それだけのことなのになぜやらないの? ―という質問と同じ。
昔は「という質問と同じ」という文末はつけなかった。つけないと、問われた側は、物凄く責められているように感じるようだ。なぜなんだろうね。
関連すると言えるかどうか判らんが、過去ログから2つ。
いい例  http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100805#1281016662 
悪い例  http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090902#1251826726 「温情により削除」したところは、「ROSF内部でレイプ事件があったので」だ。そういう奴がAMIを潰そうと延々邪魔をしまくりました。あいつらは「仲間」でも「味方」でもない。何物だいったい。それも昔話だが。蛇足しておくが「温情」はもちろん鳥山仁への温情なわけがなく、そんなパーが表現規制反対運動周辺にいたことを公開することが運動にとってメリットにならない、ということへの「温情」でありまして。鳥山仁の論法を使うと、俺のブログは今は1000人程度しか見ていないから気にするな。というわけにもいかんので沈黙していたが、解禁しておく。
今は俺は前線にいない。
ところで z2kAqeVN0さんの言っている「陰謀論」つーのは、安倍晋三関係の記述とか、「日本会議」関係の記述のことだろうか? 

4

AMI固有の弱点について、3に関連して書いておく。
AMIははじめ、非常に窓口を広く、敷居を低く、誰でも参加できるようにしていた。その結果、「規制派」が情報を取るためにAMIのメーリングリストに参加するようになった。それへの対策として、窓口を狭く、敷居を高く設定し直しした。そのときAMIメーリングリスト参加者の一部からは不満が噴出した。以後webにはAMIへの誹謗を延々する人々が散見するようになった。
AMIは漫画家・創作家を中心として結成した。ところで漫画家が市民活動を「する」のは可能だが、市民活動「団体」を「継続する」のは無理だと私はずっと思っていて、AMIは早期に解散するべきである、と私は考えていた。AMI中枢の他のメンバーは「立ち上げるのにあれだけエネルギーを使ったから、一度解散したら、二度とこういう組織は生まれない」という意見が多数を占め、継続することになった。しかしながらロビーはAMI中枢はそれほどノウハウを持っていなかったので、私はロビー担当の一人ということになった。AMIは当初平らな組織を目指し、そのわりに参加者が多かったので、AMI中枢の意思決定をすることや同意を得るのが仕組み的に難しいという欠陥があった。こういう人にこういうロビーをするよ、という意見が実はたいへん通りにくかった。よってAMIが活動していた時期に私がしたロビー活動は、「AMIとしてではなく私個人で」ほとんどしていた。伝手を作るのも、アポイントをとるのも、実際にロビーするのも。事後報告だけはしたが。私以外のロビー担当も似た負担を負い、ロビー担当者とロビー非経験者との間に感覚的な差異が初めから終わりまで続いた。これはAMIという組織を「判りにくくした」原因の一つだ。
AMIはその継続期間中、ずっと鳥山仁周辺からの嫌がらせが続いていた。漫画家を中心としているので、外部からの評価に対しそれほどタフではなかった。いや、漫画家が中心となっていたわりには相当タフだったとも言える。鳥山仁からの嫌がらせ自体より、いったい奴が何を意図してそんなことをしているのか、という意味不明さが消耗させた。
AMIの最大の弱点は、繰り返すが、新人漫画家が市民活動を(けっこう図体の大きい)「団体」として「継続」しようとしたところにあったと思う。これはAMI固有の問題であり、他の表現規制反対活動諸姉諸兄の場合とは分けて理解いただきたい。AMIの場合、いくつかのイベントを達成したら、その時点で「解散」し、次の問題が発生した時に、そのとき動ける人だけで再結集、というスタイルにするべきだった。新人漫画家は漫画家として生き延びることに全力を尽くしてやっと生き延びられるかどうか、なのだから、そのうえ「市民活動」を「継続」しようとするところに無理があった。漫画家は貧乏をしていても生きていける奴は生きていけるが、心が消耗しきると漫画家ではいられなくなる。「継続」しようというエネルギーは「立ち上げる」ときのような高揚感がなく、その意味、漫画家には最も適さない作業だった。そしてAMIは参加者が中枢部分だけでもちと多すぎ(参加者が多い一方で合意形成の仕組みに難があり)、組織活動を不得手とする漫画家には「継続」の負担が大きすぎた。そのように思う。

5

表現規制反対活動」の前線に立とうと思うが何をしたらいいかわからない、という方へは過去ログ http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100807#1281185531 参照されたし。すでに我々の「味方」として発言くださっている議員を「見守る」のはものすごく重要だ。我々にはそれが少しばかり足りない。ひょっとしたらすごく足りない。「見守る」とは、その議員へ直接「声援」を送ることももちろん含み、その効果というのは想像以上に大きい。我々は味方の議員へたいして票を与えられない。保坂展人一人を当選させることもできなかった。だからせめて味方の議員を「見守り」、「声援」を送るべきである。たとえば松下玲子都議会議員に。都議会を傍聴に行ける人は、どうか行って、そして「見守って」ほしい。

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画像は http://piapro.jp/content/w0mccfw1b453ybwn (さら)から。
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