内田樹・釈徹宗『現代霊性論』
内田樹・釈徹宗『現代霊性論』講談社(2010年)から、以下メモする。
1 ポスト新宗教と保守政治活動
釈徹宗 ポスト新宗教〔いわゆる新新宗教〕には、『真如苑』、『世界救世教』、『阿含宗』、『真光』系、『GLA』、『ものみの党聖書冊子協会』(エホバの証人)、『世界基督教統一神霊協会』(統一協会)、『念法眞教』などが挙げられます。これらの中には創設はもっと古いものもありますが、七〇年代以降、劇的に教線を拡大したものが多くを占めます。そして、このポスト新宗教には、さきほどのネット右翼みたいなナショナリズム傾向の強い教団がいくつかあります。
今日、大幅に右寄りの言説が元気になっている底流に、この「ポスト新宗教」のうねりのようなものがあって、かなり後押ししているんじゃないかと思うんです。なぜ誰も指摘しないのかな、と前から不思議に思っているくらいです。たとえば『キリストの幕屋』というグループがあるんですが、ここは「新しい教科書をつくる会」を支援しています。
内田樹 幕屋が?
釈徹宗 そうなんです。動員や販売など、大きな支えになっていると聞いています。会場に行くと、独特のヘアスタイルなのですぐにわかるそうです*1。なぜ「ポスト新宗教」は右寄りへと偏向しがちなのか。きっと、それまでの「新宗教」が左寄りだったからじゃないかと思うんですよね。その反発と差異化をはかるために、右へ行った。たとえば創価学会は左翼的運動方針を展開してきました。反戦反核、平等主義、人権重視ですね。対照的に世界基督教統一神霊協会(統一協会)はナショナリズムが特徴です。〔略〕
また、念法眞教という天台宗系のポスト新宗教がありますが、ここもかなり保守活動が盛んなところです。さきほど言った統一協会は反共産主義の活動をずっと展開しているところですし、自民党の一部の支持母体になってますよね。統一協会は早くから自民党支持だから、かなりの集票力になってますね。
霊友会は石原慎太郎の支持母体ですし、こうして見ると、「ポスト新宗教」って保守活動をずっと展開してきて、そういう思想を巷の大衆に植えつけてきた部分もあります。一九七〇年以降の動きが、今日イッキに芽が吹いたような気がします。(95-97p)
釈徹宗 〔略〕つまり、自分の自我がボキッと折られたり潰されたりすることなく、自我をぬくぬくと温存、ヘタすると自我を肥大させたまま宗教にかかわるという傾向が一部の「ポスト新宗教」にはあると思います。〔略〕ところが、仏教でもキリスト教でもそうなんですけど、いったん自我がへし折られて、自分の在り方を根底から問い直さなければわからない部分ってあるんですよ。〔略〕(104p)
これに関連して思い出したんだけど、あれはどのくらい前だったかなあ、安倍晋三政権になってすぐの頃だったと思う。「日本会議」のこととか調べていて、「なぜ『日本会議』の存在や安倍晋三とカルトや暴力団の繋がりについて発言する人がこんなにも少ないんだ」と鬱々としていた頃、深夜に三鷹のバーミヤンで一人で飯を食っていたら、大学の教員集団らしい人たちが近くの席に座っていてわいのわいの喋っていたのに気づいた。社会科学系の教員集団みたいだな、と聞き耳しながら思った。時間をかけて飯を食い、席から立ち、そこを去るときに、私はその教員集団らしい人たちに、
「皆さんはおそらく大学でものを教えていらっしゃる方々だろうと思います。現在、『日本会議』や新興宗教が日本の政治を振り回しております。できうるものなら、その存在を調べていただきたいと思います」
といった旨を述べた。我ながらイカレた発言だと思った。若い教員らしい人は「何を言っているんだこいつは?」という反応をした。少し年配の教員らしい人は「ああ、可哀想な人なんだな」といった感じで頷いた。そして私はそこを去った。そんなことを思い出した。
2 靖国神社
釈徹宗 〔略〕靖国は、その成り立ちから近代国家と共存関係にありました。しかし現代社会において存続していくためには、自らの宗教性に対する覚悟を再認識しないといけないのではないかと思います。真に御魂をお祀りすることが本義ならば、政争の具にはされたくないはずです。政治家に「ヘンな騒ぎを起こすなら来るな」とか、「参拝するなら作法を守れ」とか言えばいいのに、と私は思います。(192p)
3 「儀礼」
釈徹宗 一般に宗教の基本的な構成要素というのは、「教義(思想)」「儀礼」「共同体(集団・教団)」の三つです。さらに、「宗教の体験」を加えてもいいかもしれません。(231p)
私のイメージなんですが、儀礼がすごく発達している宗教は、宗教性というか宗教の強度や危険性がかなり薄まるような感じがするんですが、みなさん、どうでしょうか? 儀礼というのは、宗教の濃度を薄めるような気がしませんか。(232p)
〔略〕ものすごく一生懸命宗教について考えても、儀礼一発で吹き飛ばされるような気がするときが、宗教の現場ではままあるんです。儀礼には勝てないというか。
たとえば、日本ではお経を元の言葉そのままで読んでいるでしょ。あれは、インドのサンスクリット語やパーリ語で書かれたお経を、中国人が中国語に翻訳したものなんです。お経にはけっこうたくさん面白いことが書いてあって、仏教の思想が盛り込まれていますし、いろんなドラマチックな物語も語られます。釈迦の生涯や、釈迦の弟子のエピソードがいっぱい出てきて、面白いんです。〔略〕
訳したら良さそうなものですよね。実は、日本語訳はたくさんあるんです。各教団は、昔からきちんと日本語訳のお経も持っているのですが、あまり使う場面がない。日本の宗教文化は儀礼を大事にしてきたからかもしれませんけれど、お経の日本語訳を読む場面はめったにないんです。お経の現代語訳を読む作法もあるにはあります。しかしやってみたらわかりますけれど、日本語訳を読んでもあんまり「ありがたみ」がなかったりするんですよ。(233p)
三つめが、「現代の霊性を読み解くために、『儀式が枯れている社会』は手がかりになる」ということです。都市化した社会というのは、ほぼ儀礼が枯れている社会になりますので、現代の宗教性を考える上での手がかりが見つかるんです。たとえば、「占い」がこれほど日常に蔓延するのは、ある意味で占いが「私だけの儀礼」になっているからだという可能性がありますよね。(234p)
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