カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「正解はない」という考え方

1

先の記事を書いて連想した。2000年頃から数年間、宮台真司先生のところへ天麩羅学生をしていたことがあったが、宮台先生から教わった最も大事なことは「正解はない」という考え方、あるいはフレーズだろうと思う。
私は幼少の頃から「もし自分が教育者だったら」「もし自分が保護者だったら」と想定して考えることが多かった。「もしそうだったら自分に対しこう接する」という自己中心的自意識過剰的思考ではあるが、シミュレート回数が多かったので、塾講師時代にはまずまず悪くない対処をしていたと思う。我が家は教育に無頓着でウチの田舎は教育環境が貧困で、合わせ技で色々自分の「進路」について恨みが多いが、何をどうしたところで、小中学校時代の同級生は既定値でアレなので、その同級生とどう今後付き合うのかというのは、老母とどう今後共に暮らすかとともに、我が生涯の大変情けない桎梏だ。想定できる正解はいくつかあるが、「正解はない」というのもまた正解だ。そういう考え方は今後をやり過ごすうえで、一つ支えとなる。

2

人へ向けた刃は、なるほど自分へ帰ってくる。自分が今感じている罪悪感はその刃を向けられた感覚だ。
占いでは私は刃のような性質があるので、その刃を穏当に鞘に隠すことを心掛けよ、という卦が出ている。村の感覚にどこまで付き合うべきなのかとかあるけど。

3

ネットをしている数時間を除き、生活時間内にほとんど外部情報を得ることがない。私は打倒すべき敵を想定確定し、それを打倒するために戦略を練り実行することに、たぶん適性があり快楽を感じるように思うが、そのために打倒すべき敵をまず確定すること、打倒戦略のための情報収集することが今までも今後も生きていくのに必要なのだろうと思うが、外部情報を得る時間と機会が乏しいと、そのエネルギーが悪い形で内向してしまう。
地元周辺で某組織は打倒すべき敵と認定できそうなので、その敵を打倒するためにはその某組織に入会するのが第一段階として必要なので、とっととその某組織に私は入会すべきなのだろう。でないと煮詰まってたいへんに宜しくない。
「コンピュータ監視法」に関しては、法案文にまだあたっていなかったり、問題点についての適切なまとめサイトが見つからなかったりする。情けない限り。せっかくの伝手を活用できていないことはこれに限らず多いけれど。

4

冒頭に戻るが、私は「良き夫とは」というシミュレートをしたことがない。「嫁にとって良き夫」というのを今からでもシミュレートする必要があるのだろうな…。

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