カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

小松左京、逝去

http://www.nikkei.com/news/okuyami/article/g=96958A9C9C81E2E2E3E2E2E2E18DE0EAE2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;n=96948D819D998D9D99878B939F9B
7月26日、小松左京逝去。
大学生の時、当時出版されていた小松左京の小説をほぼ全部読んだ。その後はあまり読んでいない。
日本においてSFとは小松左京のことで、SF読者なわけでもない一般人を読者として巻き込む力量のSF作家はまずは小松左京である、というふうに自分は思っていた。前者はともかくとして後者は今でもそう思う。
『果てしなき流れの果に』が一番好きだったかな。短編だと『竜虎抱擁』とか好きだったな。歴史を題材にした作品群が好きだったな。
いや、思い出した。『やぶれかぶれ青春記』が一番好きだった。特に、特攻隊として無理やり飛行機に乗せられた兵士が、特攻しないでどこかの島に不時着して、島の酋長みたいな生活をして終戦を迎えた、というエピソードがその中でも一番好きだった。これは実話らしい。さらりと書かれていたこのエピソードは、私の人生観というか日本に対する先入観というか、そういうものを揺るがした。日本人の半数がこの兵士と同じ感性を持っていたら、日本は全然別な国になる。このエピソード、もっと詳しく調べた本とかないものだろうか。同書の中で次いで好きなのは、小松左京の高校時代の先生の話だった。
初期の小松左京作品に濃厚に漂う、戦争へのトラウマが、心を掴まれるものがあった。…ネトウヨだった人々は『地には平和を』をどのように読むだろう。『戦争はなかった』という短編もそういえばあったな。
貧乏していて嫁さんの娯楽が何もなかったので嫁さんのために『日本アパッチ族』を書いてあげていたというエピソードも好きだったな。
小松左京が若かりし頃、共産党工作員に登録していた、というエピソードも揺さぶられるものがあったな。
大阪万博の企画の頃、田中角栄小松左京がすれ違い、「君とは一度ゆっくり話をしたい」と田中角栄小松左京に言った直後、田中角栄ロッキード事件で失脚してしまったというエピソードも「へええ」と思ったな。
私は自作のマンガで一度だけ小松左京をモデルにしたキャラを出したことがあった。『願い星』というマンガで、このネタは何となく小松左京っぽいかなあ、とかうぬぼれて出した。
どうにも記せない15年戦争の体験をコンパクトに表現するための手法としてSFに小松左京が出会い、その社会の切り口という小松左京のSF観に影響されて、「児童虐待」という悪趣味な切り口で社会をエロマンガで描けないかとのたうってみたこともあったな。そんな無謀なことも少し考えていたこともありました。
小松左京が死んだから、今からの文学部の学生は小松左京を卒論で書くことができるのか。俺、小松左京とか筒井康隆とかの研究をしたくて文学部に入ったんだけどなあ、存命中の作家研究は不可、と一年生の時に言われて入学の目的のほとんどを失った、そんなこともあったなあ。
小松左京の圧倒的情報の源泉は、高校時代からとってある世界史図説だとテレビで披露していたのも、「ほお」という感じだった。
ずっと小松左京の名から遠ざかっていたのに、意外なところで名を見たのは、宅間守の事件で、小松左京の妹が宅間守の小学校時代の先生でかつ宅間守の何度目かの嫁さんだったという悲惨なエピソードでだった。世の中は皮肉だ。
最晩年、テレビで老いた姿を見たのは、少し痛々しく感じた。星新一小松左京手塚治虫藤子不二雄Fも、私が中年になるまで健在で、私が最も親しみを覚える世界を創り育ててくださり、そして今はもう存命していないんだな。
冥福を祈ります。
 一色マンガ版『日本沈没http://goo.gl/eTJX9
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110729k0000m040028000c.html
享年80歳か… 

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画像は http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=5353186 から。

やぶれかぶれ青春記 (ケイブンシャ文庫)

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果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

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