我が家と戦時下のドイツ外交官
メモ。
私の住む土地は、昔、島津久光公爵の別荘地だった。私の曽祖父と祖父が別荘管理をしていた。戦後の農地解放でその土地の一部を入手し、今に至る。
戦時中の一時期、その別荘にドイツ公使が疎開していた、という話を以前、伯母(父の姉)から聞いた。当時10歳くらいだった伯母は公使夫人の遊び相手をし、戦中に公使のクリスマスパーティにも招かれたと言っていた。養女にしたいと夫人は言っていたともいう。養女になっていたら伯母の人生も全く別物になっていただろう。
この頃のことを調べる方法がないかなあ、と途方に暮れていたのだが、
「虚構の皇国blog」のフランチェスカちゃん記事http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20111227経由で「敵国人抑留」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/464205667X/tadanorih-22/を知り、その書評http://blog.goo.ne.jp/y-akita-japan/e/58af6f9ad7bd162f3b45ca7c78dfb843に飛び、『戦時下のドイツ人』で検索をかけたら、「戦時下日本におけるドイツ人」のamazonリストがあり、
『戦時下のドイツ大使館―ある駐日外交官の証言』
- 作者: エルヴィンヴィッケルト,Erwin Wickert,佐藤真知子
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1998/02
- メディア: 単行本
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外交官生活とはいえ、ナチス体制下の大使館内は反目と対立が絶えなかった。焼夷弾の下で逃げまどい、河口湖への疎開生活も経験しなければならなかった。
というのがあった。
これだ。
表紙写真はたぶん私の住んでいるところから見た富士山の写真だ。
発注したので、届くのを楽しみにする。
[2012/02/25 02:21] 届いた結果→ http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120223/1330004423