カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

検診とか自分の葬式とか

1

過日、町による検診へ行った。色々あって2回順延した。1回目は、私の年齢は町の予算で人間ドックに入れるということに気づき、町の検診を人間ドックへ切り替えるため、結果として延期になった。2回目は、人間ドックに行く予定の日が娘の出産の翌日だったので、さらに延期した。
人間ドックにほぼ丸一日使った。人間ドックがほぼ丸一日かかるということに納得がいかない我が老父老母から無体な罵詈雑言を浴びたが、それは涙滲ませながら措く。
悪玉コレステロール値が高く、尿酸値が高かった。
つまり酒を飲むな、ということだ。
私はアルコールはさほど好きではないが、老母からの無茶な仕打ちの毎日に、飲まずには眠れず、田舎に来てからほとんどビールを飲まない日がない。ちゃんとした休息をとることができれば飲まないでもいられるかもしれんけど、田舎に来てからちゃんとした休息と言うのがほとんどとれない。
これがきつい。
このきつさは、幸いにして、我が嫁は理解してくれる。だが我が老母は死んでも理解しない。我がストレス源は主に我が老母だが、私は我が老母より長生きができるだろうか。

2

また同級生の父親の通夜があった。世代的にそういうものだろうけど。
我が老母が我が村の葬儀の風習についてなんか吹きあがって私に言っていた。通夜に行って思ったけど、老母の言っていた風習はだいぶ前にすたれてしまった風習じゃないかなあ。
後日の心覚えに書いておくけど、親が死んで同級生が通夜に来たら、厄払いに、と言って、同級生グループに2万ほど渡し、同級生グループはその金で故人を偲んで酒を飲む、という風習が我が村にあると老母が言っていたが、しかしながら今日行った通夜でそんなの渡される可能性ほとんどなかったと思うぞ俺。俺は関係が険悪な同級生にそんな金渡したいとももちろん思わないけど。
同級生の糞どもと顔を合わせて互いに不快な気持ちになるのが耐えられなかったので、同級生の糞どもと一緒には葬儀に行かなかった。

3

「退屈は人を殺す」という言葉を何かで読んで、今でもそのフレーズを覚えているが、我が生活は退屈だ。退屈は人を殺す。

4

私の葬儀は、簡素にしてくれ、田舎に友人などいないのだから。と嫁に言った。
この家は「本家」だから簡素にできないのではないか、と嫁が問うた。
「本家」っつーっても私の代になったら、親族がほとんど地元にいないし、兄弟も少なくなっているから、簡素になると思う、村の親戚は死んだ爺さんの血統とか、そういう遠い血統ばかりだ。嫁の仕切りやすいように私の葬儀をしてくれ、と嫁に言った。「でもお義母さんが仕切ると思う」と嫁が言った。
私と老母は同じころに老衰するだろうが、老母に私の葬式を仕切られるのだけは御免だなあ。じゃあ、どうにか頑張って、我が老母よりは長生きしよう。
「親より早く死ぬのは親不孝だからね」と嫁は私に言った。あの老母に対して親不孝でもまるっきり一向構わんしあの老母に対して親孝行は一生分も二生分もとっくにしていて、まあ親不孝も相当したけど、まあそれはいいや。あれに自分の葬儀を仕切られるのだけは堪らん。

5

俺は東京で漫画家生活していた時と、その後、塾講師とかしていた頃、わりと他人から自分は好意を持たれるタイプなのだな、とか思った。あそこでは意外なほど交友は広がった。ネットでも存外に好意をもって受け入れられた。だが田舎にはそういう友人はいない。
もし私が死んだら、ブログに、「夫は永眠しました」と嫁に書いてもらおうか、とか思った。今後の余生を30年強と考えて、30年後もブログを続けていれば、だが。

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