カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「不気味の谷仮説」とは、「死体への恐怖感」だと思う

wikipedia:不気味の谷仮説」つーのがあるけど。
俺、この仮説って、問題設定がズレている気がすんだよね。
1;人間によく似ているほど、あるポイントで「不気味の谷」に陥る、というのは、生身の人間は、不断にたとえば表情筋などが動いているんだが、そういった膨大な情報を人工物・人形で再現するのは無理だし、だいたいのばあい「不断に動く表情筋」という情報を捨てて人形を作るから、リアルに作ろうとされた人形は、「生きている人間」よりも「人間の死体」に近づくので、いわゆる「不気味の谷」が到来する。言いかえると、過度にリアルに作った人形は死体を再現し、死体に感じる恐怖感を観察者に与える。
2;人間に似せた人工物を作るとき、その人工物で何を再現しようかというのは、作成者による選択フィルターを必ず通す。「不断に動く表情筋」こそが人間らしさでありそれこそを再現すべきだ、と発想する人があまりいないように、どれを再現するとリアルなのか、と選択するのは製作者のセンスによる。
3;センスの悪い人がリアルを求め人工物への情報を過剰に与えるのは、絵の下手な人が人間の立体性を無視したまま人中線や頬の皺を絵に書き込もうとするのと同じく、グロテスク方面へムダに情報を増やし、魅力的でない方向へデフォルメを重ねるのが「リアル」なのだ、と発想するのに似ている。釈英超の絵はデフォルメされているが、あれが「リアル」なのだと感じる人はけっこういて、でもあれがキュートだと感じる人はあまりいない。いたら変態だ。
4;だから人造人間、オートマトンを作ろうとするのなら、敢えて萌的にデフォルメした人造人間を作ろうとするほうが、少なくとも商品化とか今後20年くらいのスパンでは実り多いと私は思う。

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