「秘密保護法」所感
「秘密保護法」が衆院本会議を通過した。「秘密保護法」は往年の治安維持法を再演させるための法律だと思うけど、どうなんだろうね。
山田朗先生の授業を聞いていた頃、国会図書館で治安維持法が成立した当時の社会の言説をちょっとだけ調べたことがあったけど、なんか成立への抵抗が少ねえなあとか抵抗らしい抵抗があんまないなあとか、そう感じたけど、実際のところどうだったんだろうね。現在の私のここでの生活で調べ直しする方法は私には想像ができないし、老母様対応にだけムダに消耗させられ続けているこの生活から気力を飛躍させて調べる根性を捻り出すというのは無理なので、調べ直しできる気が全然しないけど。
「秘密保護法」に対してももっと反対運動らしい反対運動、抵抗運動らしい抵抗運動、抵抗的言説とかがもっと熱く溢れていていいように思うんだけど、どうなんだろうね。秘境寸前な田舎からは見えないだけかな。
226の将校たちは東京にいないと政治運動ができないから、東京から満州へ飛ばされてしまう前に226事件決起したという事情を知った時に、なんかアホかと思ったけど、実際のところ東京在住でないと、政治運動も政治の情報を得るのもムリと言うか遠すぎてなんも判らない。それは1936年も2013年も基本的に変わらない。
…あ。新聞に投書するくらいのことは可能か。意外にそれなりに政治的力になるそうだけど(表現規制反対派は新聞投書という手法をもっと活用するほうがいい。秘密保護法反対派も)。東京にいたらデモくらいには行けるし議員から情報引っ張ることもできなくもないのに。そういうことができないのは寂しいなあ。今の日本も相当くだらないけど、これ以上くだらなくて糞な社会を娘に渡すのは忍びないなあ。