礪波護とか宮崎市定とか
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宮崎市定の解説者「礪波護」ってどんな本書いている人だろうと思ってamazonで『馮道(ふうどう)』を購入して読んだ。
馮道という五代十国時代(唐と宋の間)を代表する宰相が、現代の価値観に即すと凄い偉人で同時代的にも偉人扱いだったが、後に『新五代史』を編んだ欧陽脩の好み(宋王朝時代の忠義論に即す)に合わなくて歴史的評価として不遇な目に遭った、というのが俺の読了感想。
馮道という題材も面白いし*1、筆者の礪波護の文章もそう悪くはないんだけど、で礪波護は宮崎市定の高弟として解説や編纂を任されているんだけど、宮崎市定の文章と比較すると数段劣る。
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宮崎市定の文章の凄さは、「俗っぽさ」にある。中学生が読者だった場合どこに違和感や躓きを覚えるか、歴史という学問を全然知らない人が読んだ時どこに違和感と躓きを覚えるかについての感覚がすげえ鋭くて、でもって次の瞬間そういう人を説得させる言葉を繰り出すところが凄い。
これはたぶん宮崎市定自身が置かれた環境も関係していて、宮崎市定が学生だったときには「東洋史」という学問がまだなかったので宮崎市定がその学問を作らなくてはならず、宮崎市定が教授になった時にはまだ「西アジア史」という学問がなくて、しかし「西アジア史」抜きに世界史を語ることなど無理という危機感は宮崎市定は強く感じていて、当時宮崎市定が得られる資料や論文には限りがめっちゃあり、その限界をすげえ意識しつつしかし説かなくてはならない、という使命感というか情熱というかがあり、それが宮崎市定の文章を面白いものとしている、と思う。
「東洋史」という枠組みは宮崎市定が作ったもので(もちろん一人で作ったわけではないが)、アジア史を東アジア・西アジア・南アジアに分ける、というのも宮崎市定が考えたことで、宋王朝期の鉄の生産量はイギリス産業革命初期に匹敵することも宮崎市定が発見したことで、石炭も宋王朝ですでに使用されていて、でも宋王朝で産業革命は起きずイギリスで産業革命が起きたのはなぜかというのは今でも世界史の大テーマで。
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俺が中学生の頃の俺のアイドルが平井和正ではなくて宮崎市定だったら俺の人生違っていただろうな、とかいつも思う。俺の高校までの、大学一年までのでもいい、そこまでの人生史での周りの大人の誰かが俺に宮崎市定を紹介してくれていれば。宮崎市定を抱えていれば我が老母の狂人ぶりにも対抗できただろうに。
だから若き諸君に宮崎市定を薦める。次いで島泰三。別格で丸山真男。
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